あとーすログ

熊本でWebディレクターをしています。文芸、演劇、カメラ、インターネットが好きです。

せきしろ×又吉直樹『カキフライが無いなら来なかった』を読んだ

たまに演劇の公演に役者として呼ばれることがあって、そんなときは、不定期に稽古場へ行くことになります。僕の自宅から稽古場までは歩いて約1時間。バスと電車はやや遠回りの道のりとなってしまい、来るのを待っている時間も考えると40分くらいかかります。自転車で行けよという話なのですが、あいにくどこに停めたのか全く覚えておらず、盗まれたのか撤去されたさえも分からない状況なのです。

時間もあまり変わらないし、バスと電車は340円かかってしまうので、普段は1時間かけて歩いていきます。でも、急いでいるときとか疲れていて歩きたくないときは、電車とバスを使って赴きます。そういうとき、40分の暇を潰すためにせきしろ×又吉直樹『カキフライが無いなら来なかった』を読んでいました。

 

というのも、又吉氏が以前どこかで、「長編はまとまった時間ができたときに読んで、電車では詩集や句集を読む」とどこかで聞いたことがあったからです。じゃあ、この本はまさに僕が稽古場まで行く間の暇つぶしに丁度いいのではないか、と。

この本を手にとったとき、僕はまずタイトルが面白いなと思いました。解説で金原瑞人氏は、江國香織氏の長編小説タイトルを「どれもがタイトルだけで一編の短編小説になっている」と評した上で、『カキフライが無いなら来なかった』のタイトルについて次のように評しています。

それにひきかえ『カキフライが来なかった』はどうだろう? 自由律俳句らしいタイトルだが、「俳句だぞ!」という意気込みもなければ、一編の短編小説にもなっていない。「カキフライが無いなら来なかった」というつぶやきかぼやきにしか読めない。少なくとも、江國香織に完結したタイトルではない。逆に、「あんた、完結させてよ」と読者に訴えているタイトルだ。

(『カキフライが無いなら来なかった』解説)

 『カキフライが無いなら来なかった』はタイトルでもあり、又吉氏が作成した自由律俳句でもあります。つまり、『カキフライが無いなら来なかった』について「あんた、完結させてよ」と要請することは、この自由律俳句集に掲載されている全ての句にそれを要請しているということになるでしょう。

基本的に、僕はこの句集を「あるあるあるいは共感を求めるもの」として読みました。しかし、それにしてはあるあるの「解像度」が高すぎるように思います。

この「解像度」という概念は、敬愛するWeb漫画家かっぴさーんのブログ記事から拝借いたしました。

nora-ito.hatenablog.com

かっぴーさんによれば、マスは10人中10人に届かなければダメだけれど、Webでは100人中1人くらいに届けばよくて、自身のWeb漫画ではそれを実践されているとのことでした。

『カキフライが無いなら来なかった』は、短いことも理由の一つとしてあると思いますが、全然意味の分からないものがあります。その中で、めちゃくちゃ分かるやつもある。これは僕がうまく『カキフライが無いなら来なかった』にマッチングしていないのかもしれませんが、恐らく誰が読んでもその解像度の高さで戸惑うはずです。

でも、分かるやつはめちゃくちゃ分かって。たとえば、又吉氏の以下の句。

ごま油に賭けてみないか

(『カキフライが無いなら来なかった』)

 「賭けてみないか」と呼びかけの形になっているので、もしかしたら複数人で鍋でもつついていて、「何か物足りないよね」という話になり、調味料を探し回った結果、ごま油しか無くて「ごま油に賭けてみないか」となったのではないかというストーリーを作ることも可能でしょう。

しかし、僕はこれに自分の生活を挿入します。僕はごま油が好きで、結構色んなものにごま油を入れます。ごま油を入れれば、だいたい何でもおいしくなるのです。話は一旦変わって、僕は最近カルボナーラを作るのにハマっています。コンソメと牛乳とチーズと卵黄でソースを作ります。しかし、いつも量を気にせずに作るので、たまに味が薄くなってしまうことがあります。そんな時に、僕はこう思ったのです。「ごま油に賭けてみないか?」

もちろん、この本を読む前の出来事ですから、一言一句違わずに「ごま油に賭けてみないか?」と思ったわけではありません。しかし、カルボナーラに対峙してキャップ付きの少しベタつく瓶を持ったあのときの僕の様子はまさに「ごま油に賭けてみないか?」とぴったり合うのです。

 

他にも面白い句はたくさんあり、「これってこういうことだよな~」なんて自分の生活に置き換えて共感するものも非常にたくさんありました。この句集は人を選ぶというか、共感できる人と共感できない人がいると思うのですが、一句も共感できないという人はいないでしょうし、共感できないならできないで、面白い面もあります。

また、二人による散文も秀逸。気張らない文体で掌編小説よりも短い散文ですので、バスや電車で読むのにもそれほど苦労しません。

というわけで、皆さまの通勤・通学のお供にぜひいかがでしょうか。

 

(ちなみに、僕は、以下の文庫版で読みました。追加分の自由律俳句も掲載されているようですし、何より電車やバスで読むのであれば、小さいでのこちらがおすすめです。)