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あとーすログ

言葉と文芸とインターネット

「寂しかった」なんてただの性欲の証明

情報伝達のインフラが発達しすぎて、もうインターネットなんだかリアルなんだか分からなくなるときがあります。いや、そこの区別はまあつくんだけど、僕が中学生だった頃、わずか10年ほど前にはもっとインターネットはインターネットという世界だったはずなのに、気づけばそれがリアルをどんどんと浸食していっている気がするのです。高校生の頃の話をします。1年生の頃。もう7年も前のことなのかよまじかよーといつもいつも思うのですが、これがどんどんと8年前、9年前となっていくのですね。僕は1993年生まれで、それをとても親しみのあるまだ最近のことのように思っていたのですが、もう今年は2016年ですよ。いま高校1年生の子たちって何年生まれ?2000年生まれ?若い。話が逸れました。高校生の頃の話をします。僕がまだかわいかった頃(客観的に見ても、今よりかわいい)、スマホもLINEも当然なくて、僕は高校生になる直前に初めての携帯電話を買ってもらいました。今でいうガラケーというやつですね。中学生のとき、クラスのだいたい半分くらいが携帯電話を持っていて、高校生になると何かと連絡が必要だからとほとんどの生徒が携帯電話を所持していたように思います。で、携帯電話を使って何をするかというと、もちろん交信をするわけですね。そのために電波が飛ぶわけですから。そうすると、もう別に男なんかと交信するわけがなくて、好きな女の子とメールをするわけですよね。びびびっと。もう100万回くらい言われてると思うんですけど、僕らの世代にとってガラケーのメールってもう情緒なんですよね。東京の下町と同じくらい情緒を感じる。だって送信するのにもやたら時間かかるし、だからなるべく長い文章を打っていたし、既読がつかないから相手がメールを開いてくれたかどうかも分からない。これを情緒と言わずして何というのでしょうか。話を飛ばしますね。LINEがあるということは、僕らはいつでもテキストを共有することができるわけです。それと同じくらい容易に、音声を用いて通話することができる、iPhoneでもAndroidでもWindowsPhoneでもNokiaでもいいです。WindowsPhoneとNokiaにLINEをインストールすることはできますか?まあ別に、LINEじゃなくてSkypeでもMessengerでもWhats Appでもいいです。たぶんどれかは使えるでしょう。そして、最近のスマホはもうインカメでも超すごいやつがついているので、顔が見たかったら画面通話をすればいいわけです。ちょっと危ない写真も動画も送れてしまうわけです。ポケットの中に、ずっと君がいるわけなんです。そんな中で遠距離恋愛をしてて、「寂しかった」なんて何の冗談だと思うわけですよ。7年前、まだガラケーがはびこっていた頃ならまだ許せた。長文を送りあうメールはなかなか返ってこなかったし、写真だって粗くて何を写しているかよくわからなかった。かわいいあの子もかわいくなくなってしまった。でも今は、iPhoneで切り取られたあの子の方がかわいいでしょ。だったら、会う意味って何ですか。もう答えは一つで、それはずばり性欲なんですね。「寂しかった」というのは、「性欲に負けました」という告白なわけです。こういう言い方をすると誤解されるかもしれないんですけど、僕は別に性欲に負けるなと言ってるわけじゃなくて、負けちゃうものは仕方がないと思うんですよね。合体だけが性欲を満たす方法ではなくて、手をつなぐとか、抱き合うとか、キスをするとか、そういうのも言ってしまえば性欲を満たすはずなんですよね。まあ完全には満たせなくても、プチ性欲くらいは満たせる。でも、スマートフォンだけじゃほとんど性欲を満たすことができないんですよ。いや、視覚情報と聴覚情報を馬鹿にしてはいけないし、それで大抵の性欲を満たすことはできるんだけど、でもスマートフォンの中の彼女で性欲を満たすのは難しいことなんですよね。
 
何の話をしていたか分からなくなってしまったのですが、つまりはこういうことです。