あとーすログ

熊本でWebディレクターをしています。文芸、演劇、カメラ、インターネットが好きです。

【結果発表】第二回140字小説大賞

もう11月です。すっかり寒くなってきましたね。

 

さて、10/1〜31の間で募集をした第二回140字小説大賞について。選考が完了しましたので、結果を発表させていただきます!

今回は298編の応募をいただきました。第一回が248編でしたので、50編ほど応募作品が増えました。この1年で140字小説界隈が盛り上がってきたなという感覚も特にないのですが、じわじわと書き手が増えているのかなと思いました。

 

選考フローについて

すぐに結果発表というのも味気ないので、今回の選考フローについて説明させてください。

第一回も同様でしたが、身内びいきをしないように投稿いただいた情報からTwitterユーザー名を隠した状態で選考を行いました。まずすべての作品を読んで、いいなと思った作品をすべてピックアップしました。1次選考のようなものですね。この時点で49作品にまで絞り込みました。

2次選考以降も、選考委員は僕しかいないので僕の個人的な好みで選びました。その結果、大賞1編、優秀賞3編を決定させていただきました。

このうち、優秀賞3編は結果として雰囲気が似ている作品が集まったのかな…と個人的には考えています。また来年も第三回をするかもしれませんので、参考にしていただけるといいかもしれません。ただ、来年の僕は今年の僕と同じではないので、全く参考にならないかもしれませんが。

 

結果発表

それでは、結果は発表させていただきます。

僭越ながら、講評めいたものも書かせていただいております。その中で「主体」という言葉が何度か出てくると思いますが、140字小説を語る上では、「作品における物語上の主人公」くらいの意味を表わすのだと、ここで僕と合意してからこの先を読み進めてください。どうぞよろしくお願いいたします。

 

大賞

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これは他のところで言ったことなのですが、五教科の中で一番感傷的なのは数学だと思っています。国語もかなり感傷的なんですけど、文芸をやっているときっていわば国語をやっているわけで、そこに国語を入れ込んでもどうしようもないんですね。水に水を注いでも、水にしかならない。140字小説に数学の概念を持ち込んでみようというのは、砂糖水を作るような試みなんですね。いや、もっと凄いかもしれない。でも、僕の少ない現代短歌の鑑賞経験では、数学を持ちこんだものには素晴らしい作品が多いように思います。

もう数学を持ち込んだだけで大賞に推したくなってしまうのですが、そうすると他の方に怒られてしまうので、中身にも触れさせていただきます。ここでは、まず「放物線が好きだった」という感想が述べられています。その理由は、そこに「強烈な自由を感じた」から。まず、ここまでの言葉選びが完璧です。「放物線」「座標平面」「無機質」「格子」「曲線」「自由」。こう並べてみると、やはり数学関連の言葉が多いような気がしますね。そして肝心な「放物線」に「強烈な自由を感じ」るというところなのですが、よく考えたら僕にはぜんぜん意味がわからないんですね。だって、放物線って与えられた数式に則って決められた形にしかなれないじゃないですか。そこに自由なんてあるの? と思ってしまいます。しかし、この140字小説全体を読んだときに、確かに放物線が自由であるように思えてしまうのです。

それは何故か。答えは、「xとyの値の変化を美しく図示ことができなかった」という一文に詰まっています。当たり前のことをいうようで恐縮ですが、放物線はxとyの値によって様々な形に変化するのですね。この140字小説で取り扱われているのは、問題集の1ページに掲載されている単一の放物線ではなく、これまで解いてきた問題に載っていたすべての放物線なんですね。それを一つの概念として抽出するときに、それは動いているように感じられます。

ところで、「xとyの値の変化を美しく図自すること」ができるのは、いったい誰なのでしょうか。「きっと私は大人に近づいてしまったのだ」という言葉を手掛かりにするならば、それは「子ども」だということになるでしょう。これは前述された「自由」の象徴であり、本文でも鉤括弧つきの「真面目な優等生」とは性質を異にするものです。

つまりこの140字小説で言いたかったのは、たかだか「私は真面目だから子どものままでいられなくて、自由を失ってしまった」くらいのことなんですね。それを言うために、数学やら放物線やらxやyやらを持ち込んでえらく遠回りをしている。でも、140字小説を書くときにはその遠回りが大事なのです。たかだかそれだけのことを、個人的な事件や真実を媒体にして比喩を織り込んで届けられるのか、というところに意味があるのです。と、いうのが僕の140字小説のスタンスですので、この作品を大賞に選ばせていただきました。

あと、最後に一つだけ書かせていただくと、個人的には「座標平面と言う名の」は「座標平面という名の」にするかなと思いました。作品の質にはほとんど関係ないんですけどね。

 

優秀賞

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衒学的な世界観作りというのは訓練すれば誰でもできることで、Wikipediaから哲学やキリスト教の用語を引っ張り出してくれば何だかそれっぽくなってしまうんですよね。世界観が先か書きたい事象が先かというのはまさに鶏と卵だと僕は考えているのですが、ここで重要なのは世界観と事象がうまく比喩で結びつけば大きな推進力を得るということです。

ここでは、まず「神」という言葉が初めの方に配置されています。ここで「磔の聖者(=イエス)」、「オルレアンの乙女(=ジャンヌ・ダルク)」を例示することによって、「神」で予感していたキリスト教的世界観が強固なものとなります。「磔の聖者」のようにそのものずばり言わないのも世界観作りに一役買っていますね。

さて、僕がこの作品の中で最も不可解なのが「己に向けられた刃」という部分でした。でも、ここは不可解だからいいのかもしれません。僕は最初、人が通り魔に殺される瞬間を想定しました。でも、それだったらせっかくここまで築いてきた世界観から覚めてしまう。それじゃあ他に刃を向けられる瞬間……文脈からして無意味に殺されているのは前提として……などというように想像を巡らすことができます。具体的な風景をここで排除したのは、そういう意味で正解でしょう。そうして、冒頭の「神の子」と最後の「人の子」を呼応させるのもうまく効いていますね。

個人的には、「唯々純粋」は四字熟語に見えてしまうので、「ただただ純粋」と書きたいところ。ただ、この作品は140字ぴったりなので、そうするとどこか2文字減らす必要がでてきます。それをどうするか……というのも、140字小説を書くうえでは必要な技術でしょう。

 

 

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上の作品では偉そうに「世界観と事象がうまく比喩で〜」と書きましたが、これは世界観優先で選んでしまいました。というのも、上の作品がキリスト教という超巨大な物語を挿入して文脈に依存している部分があったのに対して、こちらはかなり意識的に自分の信じる言葉たちを選び取っている。そういう意図が感じられます。

複雑に絡み合う言葉を解きほぐすことなくさらさらと読んでしまって「あー、わかるー」と言ってしまってあと何回か読むのが気持ちいタイプの作品だと思うのですが、それを解きほぐすのも仕事のうちかと思いますので、ちょっとだけ書かせていただきます。

まずこの作品で注目したいのは「玉虫色の青春」です。これが遡って物語ぜんぶを修飾してしまいます。これはつまり、青春の物語なわけですね。そして、それが「精神に毒」だと言っているわけですから、キラキラ光った青春って素敵だけどずっと触れているとキツイよねみたいなことを言っているのでしょう。

そして一つ遡って登場するのが「君」の存在。「私」が「熱視線」を送っていること、日焼けを「健康的」とポジティブに評しているところ、そしてそれを「恨めしい」と思っていることから、主体が「君」のことを好きなのだということがわかります。ということは、前半の「焦燥感の入り混じる渇望は、純粋な狂気を加速させる。近頃の脳内の世界がまるで終末そのものであることは、私しか知らないみたい。」はぜんぶ「君が好き」というただそれだけに収束するというのですか!なんと!なんだかんだいって、これは「君が好き」と「青春」だけに収束してしまうのですか!なんと!この遠回りのしかたが、もうたまらなく愛しいじゃないですか。

ところで、「私しか知らないみたい」という箇所に対しては、「いやお前しか知らないだろうよ……」という感想を僕は抱いてしまいました。「〜〜しか知らないみたい」という言い回しはお手軽に感傷的な雰囲気を作り出せて便利なので僕もよく使うのですが、意味が通るように気をつけた方がいいかもしれません。また、全体的に見たときに「私の熱視線で焼死することのない」という部分が大仰すぎるのではないかと感じました。

 

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「深い虚無」という感情と「浅い水溜まり」という具象。対立させても意味のないものを対立させることで、衝撃して何か生まれそうな感じがありますね。僕の中では何かが生まれました。「雨」に関連する言葉はネガティブなものが多いので、「水溜まり」は「虚無」と相性がいいですね。

そして、その後で「悲しみを歌う」という聴覚に関わる表現が加わることによって、物語が少し広くなっています。「〈感情〉を歌う」という表現はもう定型化していて間違って使うと陳腐になってしまうのですが、深い⇔浅いの直後なのでセーフです。

特にいいのは、次に来る「涙」と「空から降る雫」の温度に関する対比ですね。そうか、この140字小説には二つも対比が……。「空から降る雫」は、「雫」で意味がぼやけちゃうので、そのまま「雨」としてしまって良かったかもしれませんね。実はそのあとの「寧ろ」「更なる」も「むしろ」「さらなる」と僕ならなおしてしまうのですが、「虚無」という言葉の中二属性を考えるにこのくらい漢字を織り交ぜておいた方が作品全体の雰囲気は整うかもしれませんね。

そして、最終的には雨が冷たいからさらに悲しくなる、と。泣きっ面に蜂というやつですね。曇天や雨は悲しみは涙の比喩となることもありますが、ここではそれが混在しています。そうか、だから最初から「虚無」と「水溜まり」を同時に出して、この一体感を演出していたのか!と勝手に独り合点しました。いや、別に意図していたかどうかはわからないんですけど、少なくとも僕は最後まで読んでそのように受け止めました。

 

さいごに

以上、結果発表と僕の講評めいたもの(感想?)でした。

言葉も比喩も物語も、事象の変奏であり概念の形骸化です。だから、素材がどんなにくだらなくてもそれを捻じ曲げたり美化したりすることはできるのです。

もちろん、そこに新たな概念があればなお良いのですが、人類が言葉や文字を生み出し、真剣に学問をしはじめてからもう何千何万年と経つのに、そうやすやすと斬新な概念とか見つかりっこないわけです。

じゃあそれを受け継いで、現代に生きる僕らがどう再構築するのか。そこに命をかけるべきなんですよ。

何か新奇なものを見つけたかのように大騒ぎして飾り立てる。僕はいわゆるネクラなのですが、文章の上ではパリピになることができます。みんなもどんどんパリピになりましょう。盛り上がって嘘ばっかりつきましょう。そうして、自分だけの言葉(本当はそんなものないんだけど)を探しましょう。

140字で文章を書いて物語を書く必然性なんてどこにもないんだけど、Twitterという拠り所だけを唯一の言い訳にして、僕はこれからも自分だけの言葉を獲得していきたいと思います。

今回の大賞は、荒野というよりも本当に何もなくてまだ「無」と呼ぶしかない140字小説を共に開拓してくれる仲間を探す試みでもありました。

皆さま、これからもどうぞよろしくお願いいたします。