僕は仕事ができない

熊本でWebディレクターをしています。文芸、演劇、カメラ、インターネットが好きです。

「初めて知った」は日本語として適切なのか?

「えー、そうなの? 初めて知ったー!」

 

女の子にこう言われて悪い気がする男はいないだろう。たとえ、その言葉が嘘であったとしても。そう言われたいがために、日々マニアックな知識を詰め込んでは、誰のためにもなりはしないそれを披露するときを今か今かと待っている。そういう生き物なのだ、所詮、僕らは。

 

ところで、この「初めて知った」という表現に違和感を覚えたことはないだろうか。知る、というのは、初めて以外にあり得るのか? 2回目に知る、ということはあり得るのか? 僕はずっと以前に疑問に思ったらしく、メモ帳の隅に「初めて知った、という表現について」という走り書きがあった。たぶんここまで読んで10人中8人は「どうでもいい…」と思っているだろうけど、気になってくれているかもしれない2割の人のために、ちょっと考えてみようと思う。

 

 

一回きりの「知る」こと

「初めて知った」という表現に違和感を覚えたことがあると言っても、僕がこの表現を使わないというわけではない。むしろよく使う。それは、世界は驚きと発見に満ちているからだ。

他の人が使っているのもよく聞く。僕は小さい頃から事あるごとに知識をひけらかすのが大好きで、母親によくその日仕入れた知識を披露しては「初めて知ったー!物知りだねー!」と言ってもらっては小さな自尊心を満たしていた。

 

しかし、上にも書いたように「それ知ったの2回目ー!」という表現は聞いたことがない。そう考えると、「初めて知ったー!」という表現も少しおかしいような気がしてくる。初めて、知る? 2回目に、知る?

 

「それ知ったの2回目ー!」は、文法的にはおかしくないはずだ。「知る」を別の動詞、たとえば「食べる」に変えれば「それ食べたの2回目ー!」と自然な日本語になる。「それ食べたの3回目ー!」も「それ食べたの4回目ー!」も許容される。3回目とか4回目とか覚えている人がいるとは思えないが、今まで何を何回食べたか完璧に覚えている人が登場するちょっぴりシュールな漫画だと思えば成立しないことはない。でも、「それ知ったの2回目ー!」は、そういうシュールじゃ誤魔化されない不自然さなのだ。

 

それは、「知る」ことが一回きりの行為であるからだ。たとえば「生まれたの2回目ー!」とは言わないし、「童貞喪失2回目ー!」とも言わない。比喩的には、2回目の誕生とかセカンド童貞という表現もありだけど、現実的には人生において生まれるという行為は一回きりだし、童貞も喪失できるのは一度だけだ。同じように、何か特定の対象を「知る」というのも、一回きりの行為なのだ。

 

 

「理解する」と「知る」

しかし、色々と用例を探ってみると、たとえば「これからお互いのことを徐々に知っていきましょうね」という表現は不自然ではないように思われる。こう書かれると、なるほど「知る」という行為に段階があるように感じられる。一回きりとは、0か100の世界である。「食べている」というとき、あなたはきっと「食べつつある」のだろう。食べるは0か100ではない。しかし、「生まれている」というとき、あなたは「生まれつつある」のではない。生まれてしまっている。「知っている」というとき、「知りつつある」のではない。知ってしまっているのだ。

 

「知る」と似通った言葉に「理解する」という言葉がある。先ほどの「お互いのことを徐々に知っていきましょうね」というときの「知る」は、どちらかといえば「理解する」という言葉の意味に近いかもしれない。「理解する」は、「知る」と比較すると段階的なものを担当しているように思われる。たとえば、哲学を「知る」のは一度だけだろうけど、哲学を「理解する」というのは非常に段階的なものだ。

 

そう考えると、「これからお互いのことを理解していきましょうね」と「これからお互いのことを知っていきましょうね」というのも、意味はほとんど同じようだが微妙な違いを感じ取れるような気がする。前者は、対象を一つの総体としてじんわり認知していくけれど、後者は対象をいくつかのパーツに分解して、「あ、八重歯がるんだ!」「あ、こういうことでなくタイプなんだ!」と一つひとつ発見していくような印象を受ける。やっぱり、「知る」は一回きりという印象が強い。

 

「初めて」という感動

さて、ここで問題は最初に戻る。「知る」が一度きりの行為であるならば、「初めて知ったー!」という表現はやはりどこかおかしなものになりはしないだろうか。

 

ここで、男が無条件に喜ぶ表現を思い出してみよう。「こんなの初めて…!」である。ここでは省略が起こっている。 補完すると、「こんな(経験)初めて…!」という風になるだろう。本当にその経験が初めてであるかどうかは僕らにはならあずかり知らぬところであるが、表現としては特に問題がないように思われる。

 

ここで重視されているのは「初めてであること」だ。省略されなかった「初めて…!」が、そのこと自体の感動を伝えている。

 

先ほどの「初めて知ったー!」が不自然かもしれないと思うのは、「知る」ということに重きを置いているためではないか。ただ知ったことを伝えたいだけであれば、「知る」のが「初めて」であることは当たり前だから、馬から落馬的な重語表現として捉えられるが、「はじめて知ったー!」というとき、それは初めてであること、それによる感動を伝えたいのではないだろうか。そんな意図が隠されていたのか!初めて知ったぞ!!

 

おわり

などというのは、僕が深夜のすき家でカレー南蛮牛丼を食べながら考えた妄言なので、それほど真面目に考えていただく必要はない。なので、女の子から「初めて知ったー!」と言われたときに、「初めて知ったって、なんか変な表現じゃない?だって、何かを知れるのって一回きりだよね。でも、その表現が初めてであることの感動を強調しているのなら、僕はその日本語が間違っているとは言えないんじゃないかと思うんだ」と返してしまう気持ち悪い男にならないように注意してほしいと思う。