小説ナタリーみたいなものを作りたい
あまりにもやりたいことが多いけれど、時間の関係でなかなか実行できないことも多いので、とりあえず概要を書いて未来のためのメモにしたいと思う。
やりたいことについては、過去にも以下のような記事を書いた。(実現できる目処が立っていない)
今回のテーマは「小説ナタリーみたいなものを作りたい」である。
ナタリーとは何か。
ナタリーは株式会社ナターシャが運営するニュースサイトで、「音楽」「コミック」「お笑い」「映画」「ステージ」という5つのジャンルがある。
元々は音楽ナタリーだけで始まったものだったけれど、徐々に拡大して取り扱う領域を広げ、今ではポップカルチャー好きにとってなくてはならない存在となっている。
様々なメディアがある中で僕はこのナタリーとメディアが大好きで、よく情報収集に使わさてもらっているし、ナタリーの内部について書かれた以下の2冊の本も読んだ。
ナタリーってこうなってたのか (YOUR BOOKS 02)
- 作者: 大山卓也
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2014/08/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (6件) を見る
新しい文章力の教室 苦手を得意に変えるナタリー式トレーニング (できるビジネス)
- 作者: 唐木元
- 出版社/メーカー: インプレス
- 発売日: 2015/08/07
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (6件) を見る
こういうポップカルチャーってそれぞれが独自の色を持っていたり、主観的な記事が掲載されていることが多い。それはそれで、それぞれの色が出ていて面白いんだけど、ナタリーはそうじゃなくてできるだけ幅広いニュースをフラットに伝えているところがとても良い。フラットなはずなのに、それが逆に強烈な個性となっている。
どうして小説ナタリーはないのか
そして、これはもうずっと思っているんだけど、ナタリーに「小説」というジャンルがないのが残念で仕方がない。新刊情報とか一元的にしれたら便利なのに、それぞれの出版社が発表するのを待つしかなくて、おかげで出版社のTwitterアカウントを馬鹿みたいにフォローすることになる。
別にナタリーがやる必要はないんだけど、他にも小説に関するニュースをしっかりと配信しているところは少ない。ダ・ヴィンチニュースにそういうカテゴリがあるけど、更新頻度がぜんぜん高くない。
実は、僕が主宰している蓼食う本の虫というサイトでやってみようと思ったこともあった。ただ、一人でやるのにはあまりにも無謀すぎるので、いまはたまにニュース記事を出して様子を見ているところだ。
これからどうするか
ナタリーが小説版を作ってくれれば話は早いし、そうなれば僕はもう何もしないのだけど、ナタリーが何もしないうちはチャンスがあるのかなと思っている。
ナタリーみたいなサイトを立ち上げるというのは、実は根性とやり方次第でなんとかなるのではないかと思う。ということはつまり、僕にもそれをやるチャンスがあるのではないかということでもある。
まずは情報を出しているサイトをリサーチして、そこを毎日見て回ること。出版社とか投稿サイトのプレスリリースをつぶさに確認する。あとは有名な作家のTwitterや公式サイトも確認しておく。するとルーチンができる。まあ、このルーチンができるまでが大変だし、できてからもその記事を誰が書くのかということが問題だ。
僕が書いてもいいんだけど、どう考えても一人じゃ挫折するのは目に見えている。だからいまはやらない、ということにしていて、蓼食う本の虫ではほとんどニュース記事を書かず、息の長いコンテンツ制作を行っている。
ただ、もしも蓼食う本の虫がこのまま軌道に乗れば、次に挑戦したいのは小説ナタリー的なものだ。
まとめ
という僕の妄想でした。
まだまだナタリーには程遠いけど、蓼食う本の虫も頑張っていくのでどうぞよろしくお願いいたします。
非常に残念なことに原稿料は出ないんだけど、寄稿してくれる人は随時募集しています。その代わり、自分で出す同人誌の宣伝なんかも蓼食う本の虫で行えるようにしています。
あと、同人誌を出すときや寄稿者を募りたいときは、プレスリリースのようなものを送っていただければ掲載できます!こちらもぜひご利用ください!!
蓼食う本の虫では、文芸系同人誌の寄稿者募集情報・発刊情報を掲載いたします。プレスリリースをお送りいただければ、審査の上で記事化させていただきます。
— 蓼食う本の虫 (@tadeku_net) 2017年2月22日
プレスリリースの送付、お問い合わせは以下のメールアドレスまで。
atohslit1113@gmail.com
「友達」と呼べる人がいない
なんか「友達」という言葉が恥ずかしいし、そういえば最近「この人は友達です!」みたいな紹介の仕方をしなくなったなあと思う。というか、友達と呼べる人がいないのかもしれない。
いま、仕事以外で最も顔を合わせているのは一緒に芝居を作っている人たちだと思う。今度やるのはダイナソーミュージアムの公演。もう3回目になる。演出以外は固定的なメンバーを持たないユニットなんだけど、幸福なことに僕は3回ともぜんぶ呼ばれていて、いつも顔を合わせるようなメンバーとやることができている。
その中でも特によく芝居を作る人が3人いて、よくよく考えれば全員後輩なんだけど、4人まとめて「盟友」と呼ばれている。正直、そう呼ばれるのはめちゃくちゃ恥ずかしいんだけど、なんだか慣れてしまっているところもあって、ちょっと感覚が麻痺してなんならそう呼ばれることが嬉しい瞬間だってある。
でも、「友達」って呼ばれるのは絶対に違うよねという感じ。ぜんぜん芝居に関係のないところで仲良くしているかと言われれば、全然そんなことはない気がしている。ただ同じ芝居を作る仲間なのであり、だからこそ「盟友」なのだと思う。
他にも仲良くさせていただいている人はいるのだけど、だいたいそういう人たちはみんな大学の先輩だった人たちだ。そういう1個違いなんだけど、やっぱりそういう人たちはどこまでいっても「先輩」だ。別に「先輩」だからといって「友達」よりも距離が遠いのかというとそんなことはなくて、とても尊敬しているしすごく好きな人たちだ。ただ、「友達」って呼べないよというだけで。
という風に考えていくと、本当に僕には友達がいないなあと思う。そんな風に呼び合うのって、ちょっと恥ずかしいけど素敵だと思う。大学時代にあまりにも人と交友関係を結ぶのをさぼっていたらこうなってしまった。中学校や高校くらいまで遡ると、友達と呼べる人たちもいるんだけど。そういえば、ずいぶん会ってないなあ。
社会人になってからでも、友達ってできるものなんだろうか。中学生や高校生の頃は、孤独を回避するために友達が必要だった。でも、大人になるにつれて、孤独は恐る必要のないものだとわかるようになってきた。友達が必ずしも必要ではなくなってきた。
そして僕場合は、盟友も先輩もいる。おかげで土日も楽しく暮らすことができている。別に友達なんて必要ない。必要ないから、できそうにもないなあと思う。
というわけで、今日の教訓は「大学時代に仲間だけではなく友達も作っておけ」です。春から大学生になる人たちは、よく覚えておくように。
どうして文章を書くのか考えて自己啓発をしてみる
以下の記事を読みまして。
ここでは、文章を書くモチベーションを確かめるための質問として次の4つが挙げられていた。
・ なぜ自分は書くのか
・何をテーマに書くのか
・誰のために書くのか
・書いた文章でどんな変化を生みたいのか
文章を書くというのは結構大変なことだ。それなりに時間がかかるし、頭も使わなくちゃならない。僕は文章を書くのが好きだからずっと書き続けているわけだけど、締め切りやノルマを設定してそれに追われていると、「なんでこんな大変な思いをしなくてはならないんだろう?」と考えてしまう。
だからこそ、たまに自分の中で文章を書くモチベーションを確認してやる必要があるのだと思う。
好きだけど大変、というのは別に文章を書くことに限った話ではない。僕は本を読むのが好きだけど読むのは労力を要するし時間もかかる。そしてあまり時間がとれなくて、本が読めず、「本当に僕は本が好きなのかな?」なんて思ってしまう。習い事でも趣味でもスポーツでも、同じような経験をしたことが誰にでも一度はあるはずだ。
普通に生活していれば、「やりたいけど大変なこと」よりも、「別にやりたくもないけど楽なこと」に流れてしまいがちだ。書きたいテーマの原稿があったとしても、延々と関連動画を流し続けるYouTubeに留まり続けてしまう。
そんな状況から脱却するためには、やはりモチベーションを高めていく必要がある。言い方を変えれば、これは自己啓発をすることだと思う。
僕は自己啓発本というやつが割合に好きで、書店にあると何冊かパラパラとめくってしまう。中身は大抵同じことが書いてある。どれもこれも当たり前のことばかりだ。でも、その当たり前のことができていないのが人間というやつなので、ぼくは定期的に自己啓発をする。
そんな自己啓発の一環として、上で引用した問いに対する僕なりの答えを書いてみたい。
なぜ自分は書くのか
第一には、上にも書いたように「書くのが好き」というのが最も大きな理由だと思う。
子どもの頃から小説を書くのが好きで、小説家になりたいと思っていた。その夢は今でも叶っていないけれど、ずっと小説を書き続けている。
でも、書き続けているうちに、文章って別に小説だけじゃないんだということに気付いた。ブログでも詩でも短歌でも評論でも、文章の世界は驚くくらい無限に広がっていた。
創作活動をするときに、自分の守備範囲というものを誰しもが決めると思う。音楽もできなくて絵も描けない僕は、とりあえず文章全般を守ることができるようになろう、と決めたのだった。それこそが、書く理由なのだと思う。
そういえば以前、以下のような記事を書いたこともあった。
何をテーマに書くのか
このブログのキャッチフレーズは「言葉と文芸とインターネット」だ。
大学では日本語日本文学を学んでいたこともあり、そこで学んだようなことが基本的なテーマになっている。
また、インターネット文化が大好きなので、そのあたりの話題にもアンテナを張っている。
別に運営している「蓼食う本の虫」も文芸系メディアと名乗っているので、これからももっと文芸っぽいことを書いていきたいと思っている。
また、関心のある領域を聞かれた場合には「インターネットと文芸の交わるところ」と答えることにしている。
誰のために書くのか
蓼食う本の虫に限って言えば、明確に「小説を書いている人・書きたいと思っている人」に書いている場合が多い。
たまに外れてしまう人にも届けたい記事があるため、「小説を書く人のためのWebメディア」ではなく「文芸系Webメディア」ということにしているのだけど、基本的には僕みたいにアマチュアで小説を書いている人をターゲットにしている。
小説なんて一人で書けるし、誰に習うものでもない。でもどうやったらいいかわからないことも多いし、そのほとんどに対して検索してもぴったりの回答が返ってこない。
小説の書き方に対して完璧な答えは出せないのだけど、ある程度の解決策を提示することはできるんじゃないかと思っているし、小説の執筆を快適にするためのツールならばいくつも紹介できる。
書いた文章でどんな変化を生みたいのか
文芸について網羅的に扱っているサイトというのは実はあんまりなくて、特に「書く」ということに関しては個人ブログに書かれたものを頼りにするしかない。
けれど、蓼食う本の虫に文芸に関する様々な情報があるとすれば、いくつものサイトを見て回らずに済む。簡単に情報を得ることができて、本来時間を割くべき作品の執筆に集中することができる。
他の人が欲している情報を僕が代わりに時間をかけて見つけ出す。そんなイメージを持っている。
というようなことが、僕の書くモチベーションだ。蓼食う本の虫の声話ばかりして、実はこの個人ブログを書く意味というのをまだあんまり見つけきれていないんだけど、書くのは好きなのでとりあえずそれだけの理由で書いてもいいのかなと思う。
これからも頑張って書くので、どうぞよろしくお願いいたします!
学歴コンプレックス本を作りたい
いくつか作りたいなと思っている同人誌があって、その企画の一つに「学歴コンプレックス本」というものがある。
学生生活を送るうえで、あるいは就職をするうえで「学歴」を気にしてしまうのは仕方のないことだ。「学歴なんて関係ない!」と声高に言っている人をよく見かけるけれど、そんなことを言わなくちゃいけないこと自体が、多くの人は学歴を気にしているということの証明だ。もちろん、学歴がその人のすべてを決定づけるわけではないけれど。
僕は高校に入学した頃から九州大学に入りたいと思っていた。九州に生まれた人なら同じような感覚があると思うんだけど、九大に行くってだけで親戚や中学時代の友人の親とかからは「すごいね〜」と言われる。旧帝大なので「頭いいね〜」と言われるし、国公立なので「親孝行だね〜」とも言われる。
そして結論から言うと、僕は九大の文学部に落ちた。全く僕の勉強不足だったと思う。入学した頃から模試での判定はずっとCだった。BにもDにもなったことがなかったと記憶している。そして、本番のセンター試験を使った判定も、やっぱりCだった。
今考えてみれば、九大の数学は確率の問題以外ほとんどわからなかったし、英作文もてんで駄目だったのだ。受かると考える方が不自然だったのかもしれない。でもうちの高校はいわゆる自称進学校というやつで、僕の中にはできるだけ偏差値の高い大学に入りたいという欲望があった。だから、C判定にすがって受験した。そして落ちた。
という僕みたいな経験をした人が熊本大学には多かったんじゃないかなと思う。理系はよくわからないけど、文系だと熊大が九大に次ぐ大学という地位を獲得していた。だから僕は、迷わず熊大を後期に選択した。センターの判定はAだった。そして、受かった。
熊大には九大崩れ(あんまりよくない表現だけど、割と好きなので使います)の人が結構たくさんいた。僕みたいに後期で入ってきた人もいれば、センターの段階でランクを下げた人もいた。中には阪大崩れという人もいた。
僕は多分、未だに学歴コンプレックスがある方だと思う。過去のことをとやかく言っても仕方ないのはわかっているし、その点については諦めているんだけど、たまに熊大と九大の偏差値を見比べたりすることがある。卒業して1年経とうとしているのにだ。また、本とかを手に取ると、まずは著者の学歴を確認してしまう。
上にも書いたように、学歴だけがすべてじゃないということは僕だってわかっている。しかし、学歴コンプレックスというのは一種呪いのようなもので、わかっているからと言って消えるものではない。
だから、僕は一度この学歴コンプレックスというものをちゃんと言語化してみたいなと思っている。それも僕だけではなくて、しかも熊本大学に行った人だけではなくて、様々な人の学歴コンプレックスについての本を編みたい。
いわゆる一流大学に行っても、上には上がいるからと学歴コンプレックスを抱いている人がいるかもしれない。そういう人が、心の柔らかいところから発する言葉を僕はこの目で確かめたいと思う。
ということを実は在学中から考えているんだけど、他にもやりたいことがたくさんあって、結局何もできないままでいる。でも絶対に面白くなりそうだという予感はするので、学歴コンプレックスをお持ちで何か寄稿してもいいよという方は、ぜひご連絡ください!
メールはこちら
atohslit1113@gmail.com
Twitterからでもどうぞ!
大学受験のときのことを思い出しているんだけど、一番ほっとしたのは立命館のセンター利用に受かってた時ときかもしれない。関関同立の一般はぜんぶ落ちた。
— あとーす (@ATOHSaaa) 2017年3月9日
文芸系Webメデイア「蓼食う本の虫」の運営を開始して1年が経った
自分で付けといてなんだけど、「文芸系Webメデイア」と名乗っているのは少し恥ずかしい。でも、これ以外に適切な名前も無いような気がするので、ちょっと大仰なこの肩書きに負けないように頑張っていかなければと思う。
そんな蓼食う本の虫が、運営を開始して1年を迎えた。
蓼食う本の虫とは
大学生のとき、株式会社taskeyというところでインターンをしていた。会社は東京、僕は熊本のリモートという形でオウンドメディア「taskey U」の編集長を務めていた。編集と言いながら、出す記事の半分くらいは自分で書いていた。あとは他にいる編集の人に記事を出してもらったり、協力してくれるライターさんの記事を編集したりしていた。
taskey Uは就職をするタイミングで抜けることになったけど、そこで培ったものを活かしたいと思ったし、何より書くことや編集することが楽しかったので、入社する前の3月のタイミングで「蓼食う本の虫」を立ち上げた。
元々は「小説」にフォーカスしたメディアにするつもりだったのだけど、やはり詩や短歌、漫画、映画などの周辺領域もカバーしたいということになり、小説に主軸を置きつつも「文芸系Webメディア」ということにしている。
これまでの失敗
実は、同じようなブログメディア形式のサイトを過去にもいくつか作ったことがある。ただ、そのどれもが作って1年もしないうちに更新が途絶えてしまっている。だから、「蓼食う本の虫」は三度目の正直という感じだった。
二回も失敗していれば、何がまずかったのかということが段々と分かってくる。
まずあまり良くなかったのが、自分以外の人にコンテンツを作成してもらおうと思ったこと。自分一人では何事もスケールしないと思っていたので、僕は仕組みを作って、記事自体は他の人に依頼することをベースにしようとしていた。
しかし、何の報酬もないのに継続してモチベーションを保てるわけもなく、これまでは失敗してきた。当たり前の話だ。
「蓼食う本の虫」では、基本的に僕が記事を作ることにした。もちろん、これまでと同じように他の方にもご寄稿いただくことは多い。特に、思ってたより動くメロンパンさんには、これまでいくつもの記事をご執筆いただき、大変お世話になっている。
しかし、ご寄稿いただく方にもそれぞれの都合というものがあるので、なかなか定期的にということは難しい。また、たくさんの人にお願いしようとすれば今度は僕の方で管理ができなくなってしまう。
だから、今回は基本的には自分一人で書いていこうというルールを作った。もちろん、寄稿をお願いしたいなと思った人にはお願いしているんだけど、それはあくまでもボーナスみたいなものだと考えている。
それなりに仕事で忙しくしているので、一人でやっているとなかなか記事が書けないことも多い。実際、2週間以上放置したことも1度や2度ではない。
それでも、ここまでまだ運営を続けてこられているのは、「自分が書けば運営は続けられる」と思えているところが大きいかもしれない。他の人に依頼することが基本だったら、「どういう風にして書いてもらうか」ということばかり考えてしまうし、そんなことを考えても一向にコンテンツは出来上がらない。こういう当たり前のことに、僕は大学生のときに気づくことができなかった。
蓼食う本の虫のこれから
実は、蓼食う本の虫のPVが最も多かったのは運営初月の2016年3月だった。2月から徐々に準備していた記事を一気に公開し、それなりに拡散してもらえて、28,000PVまでいくことができた。しかし、それ以降は就職したのもあってあまり更新することができずにいた。
でも、ちゃんとキーワードを考えながら更新していた甲斐もって、ほとんど更新することができていないにもかかわらず、2017年2月は初月とほぼ同じ水準にまでPV数が戻ってきた。当然、検索流入数は比べ物にならない。
これからも、蓼食う本の虫をどんどんと大きくしていきたいなと思っている。変に目標があると、達成できなかったとき運営するのをやめてしまいそうなので、これまで通りゆるく運用していきたいと考えている。
小説をはじめとした文芸活動をもっと誰もが楽しめるようにしたい。そういう思いを大切にして、これからも記事を作っていきたい。
短文ばかり書いていると長文が書けなくなる
普段から短い言葉を作る機会が多い。仕事においてもタイトルやキャッチフレーズを作ることはあっても、500字以上の文章を書くことは今のところない。
また、創作活動にしても最近は140字小説や短歌ばかりで、原稿用紙何枚という単位で書くことが少なくなってきている。
強い言葉と論理
短い言葉を書いていくときに重要なのは「強い言葉」だ。まず着想があって、それを効果的かつ装飾的に伝えるための強い言葉が必要になる。コピーだって短歌だって140字小説だって、それは同じことだと僕は考えている。
強い言葉を選んで空気感やイメージを醸成しておき、ディティールに関しては受け取り側の想像に任せる。いかに適切な輪郭を持った余白を作り出すことができるか、いかにこちらの想定した余白に誘い込むことができるか、そしてそれを、いかにわずかなスペースで実現することができるか。そういう能力が試される。
一方で、長い文章に問われるのは「論理」だ。強い言葉はほとんど必要なくて、どんどんとソリッドな言葉で余白を埋めていく必要がある。
強い言葉を生み出すのには集中力を要する。一つの言葉を生み出すのに多大な時間がかかるからだ。ところが、長い文章を書く場合には労力が必要となる。また、短文を書くのは「表現」で、長文を書くのは「作業」だということができるかもしれない。
長文を書くとき、それは頭の中にある情報たちを整理して組み立てるということがほとんどを締める。これは、長編小説を書くにしても同じことだ。まずはプロットを練って、それに沿って文章を書いていく。
短距離選手と長距離選手
どちらが向いているのかというのは、才能の問題でもあるし、慣れの問題でもある。
それは、同じ「走る」ことに関する競技でも、短距離走と長距離走に分かれているというのと同じようなものだと思っている。ベースには、「走る」ことの才能がある。
でも、そこには向きと不向きがあるし、どこかで自分は長距離走の選手なのか短距離走の選手なのかを決めて、そこに最適化する方向で練習を積む必要があるだろう。
それでも僕はよくばりたい
文章を書くということに関して、どちらかといえば僕は長距離の選手だった。高校生の頃まではずっと小説だけを書いていて、短歌とかには全く興味がなかった。
しかし、Twitterで情報を発信するようになり、140字小説を書くようになって、さらには短歌も詠み始めた。間違いなく僕は短距離走の選手になっていて、近頃は長い文章を書くのが少し苦痛になってきている。
別に、このまま短距離走を続けていてもいい。ただ、短文の世界って書き手と読み手がほとんど一致してしまっていて(たとえば、短歌を鑑賞する人はほとんど自分でも短歌を詠む)、なんというか少し居心地が悪い。
Lucky Brothers & co.という主にWeb制作をやっている会社があって、そこの経営理念は「もっとよくばる」。僕はこの言葉を見かける度に、「もっとよくばってもいいんだ!」という気持ちになる。とても好きな言葉だ。
これからは、文章を書くことをもっと欲張っていきたい。このブログは、そのためのリハビリの場であったりもします。
まとめ
僕がまた長距離に挑戦したいということをここまで書いて来たわけだが、長距離選手の皆さまは、ぜひ短距離の世界も覗いてみてほしい。
個人的には、140字小説を書く人が増えてくれればいいなあと思っている。
文芸系同人誌の企画を作るときにやっていること。
格安小冊子作成・冊子印刷・制作 ・印刷・印刷通販【ちょこっと(ちょ古っ都)製本工房】
その他にも印刷所はたくさんある。以前、蓼食う本の虫というサイトで印刷所のおすすめをまとめているのでこちらもぜひ。
無料配布のペーパーやチラシ、ポスター、名刺などはラクスルを使うといいと思う。冊子も注文できるんだけど、圧倒的にちょ古っ都の方が安い。
僕も構想だけ練って実現していない企画本がたくさんあるので、頑張って実現させようと思う。皆さんも頑張ってください。検討を祈ります。