あとーすログ

文芸、演劇、カメラ、インターネットが好きです。

さよならに託す

さよならって言葉が強すぎるんですよね。強すぎるって言葉が適切でなければ、エモすぎるんですよね。強くてエモい言葉ってどういう言葉かというと、何かを託したくなるような、あるいはすでに多くのものを託してしまっているような言葉のことです。「さよなら」以外に例を挙げるとするなら、「青春」「愛」「桜」「夜空」とかになるでしょうか。個人的に140字小説を書くときにもよく使う言葉です。これは書いていいかどうか少し悩むところで、まあでも書いた方がおもしろいかもなんて思って書くんですけど、こういう託す系の言葉たちって、出しとけばなんとなく140字小説が整ってしまうんですよね。「さよなら」って言葉は、140字小説の中ではただ一回のさよならなんですけど、読む側が勝手に自分が経験した何万回もの「さよなら」を勝手にだぶらせてくれるんですよね。いや、過去の自分の体験だけではなくて、小説とか、漫画とか、アニメとか、ドラマとか、映画とか、今まで摂取してきた物語の中の「さよなら」とも勝手にリンクしてくれるのです。だから、「さよなら」というたった4文字でなんか深くなって整っちゃうんです。同じ4文字でも、これが「おっぱい」とかだったらぶち壊しなわけですね。いや、140字小説でただ一回の「おっぱい」に個人的な経験も摂取した物語も接続可能なわけですが、どう考えたって「さよなら」の方に託したいじゃないですか。なんで「おっぱい」なんかに託さなくちゃいけないんですか。あれ、もしかしてこれ論理が破綻していますか?認めない、絶対に。絶対に。他の理由を探しましょう。そうだ!「青春」も「愛」も「桜」も「夜空」も「さよなら」も、ぜんぶ切ないんですね。切ないからこそ、僕らはそこに色んなものを接続させて言葉の強度を高めてエモくなりたいんですね。「おっぱい」は切なくないですもんね。もちろん、切ないおっぱいがあってもいいし、切なくないさよならがあってもいいんです。でも、切なくないさよならってもう矛盾してませんか? 切ないおっぱいは、なんかまあそういう表現というかリアリティもあるよねという感じなんですけどね。初めて触ったおっぱいとかね。あ、今気づきましたけど「初めて」も強いしエモいし託したくなりますね。しかも、この託し方は特別ですよ。だって、「初めて」って実生活の中でも一度きりの行為ですからね。「初めての○○」って、まあ言葉の定義からしてそうなんですけど、本当に人生で一回きりですからね。○○に何を挿れるのかは、皆さんのご想像にお任せいたします。何の話でしたかね。おっぱいの話でしたね。おっぱいって時に悲しいんですよね。時に悲しいってだけで、常に悲しいわけじゃないんですけど。でもやっぱり、さよならはいつだって悲しいですね。悲しくないさよならって、それ強がりを強調するレトリックですからね。悲しくないならさよならじゃないですからね。その悲しくて切なくて強くてエモい言葉に、何かを託したくなるということなんですね。まとまりましたか?まとまってませんね。まあ、でも大抵の事象は堂々めぐりしてめぐるだけで終わってしまうのです。
 
エモい140字小説を書いています。