あとーすログ

文芸、演劇、カメラ、インターネットが好きです。

文芸部誌甲子園のようなものをやりたい

大学の文芸部ってあまりにも目標がなさすぎない?

ということをずっと考えている。

 

運動部であれば、地域や全国のリーグがあって、その中で優勝を目指したり上のリーグへの昇格を目指して頑張ることができます。

 

また、文化系にしても吹奏楽やオーケストラなんかの音楽系は大会や発表会がある。

目標があれば、そこに向かっ頑張ることができます。リーグ昇格を果たすため、ライバル校に勝つため、部員たちは日々努力を続けます。

 

でも、文芸部って何のために頑張ればいいんだろう。そんなことをふと考えた。別に文芸なんて基本的には一人でできるわけで、大学で文芸部を作って活動することにどれほどの意味があるのか。

 

高校までだったら、課外活動の一環としてそれなりの意味があるように思う。高文祭なんかで賞を用意して、そこを目指して頑張ってもらうということの意味も分かる。

 

でも、大学生になったらもう学生専用の文学賞なんてものはほとんどなくて、他の小説家の人たちと新人賞レースで戦わなければならなくなる。そうであれば、大学の文芸部なんて必要ないんじゃないか。

 

もちろん、僕はコミュニティとしての文芸部に魅力を感じていないわけではない。大学生の頃は公式ではないが学内の文芸サークルに入っていたし、そこで様々な人と出会い、様々な意見を交換することができたのは非常に有意義なことであった。

 

でも、やっぱりそれだけなのだ。僕が入っていたところもそうだったけど、文芸部というのは年に数回部誌を出すということが目標となってしまう。発行してしまえばそれで終わり。これだったら、Web上に小説を投稿するのと何ら変わりないのではないか…?ということを考えることもしばしばだった。もちろん、そうであってはならないと僕は考えている。せっかく部誌を出すのであれば、一人では実現できないことをやりたい。

 

ということをモヤモヤと考えながら、一つの構想が浮かんだ。

 

部誌を作る技術を競えばいいのではないか?

 

部誌というのは、文芸部としてのアウトプットとしてはほとんど唯一のものだ。その制作に部員たちは全力を注いでいるはずである。小説を書きたいのであれば、一人で書いてWebにアップするなり印刷所に持ち込んで刷るなり新人賞に応募するなりすれば良い。ただ、全員でアイディアを出して一冊の部誌を作ることは、誰かと一緒でなければできないことだ。

 

そのクオリティを競うことは、これからも文芸に携わる上での技術力向上につながるのではないだろうか。そしてそれが、文芸部に参加することの意味になるのではないだろうか。

 

文芸部誌甲子園のようなもの

出版甲子園というものがある。

http://spk.picaso.jp/

出版甲子園は、学生の、学生による、学生のための出版企画コンペティションです。

応募資格は、『学生』であること。

参加企画は、厳正な審査と、決勝大会におけるプレゼンバトルで競い合います。

そして出版甲子園を通して編集者の目に止まった企画はついに出版へと向かう。

要するに、こうしたものの文芸部誌版を作ることができれば非常に面白いのではないかと思う。

 

部誌のクオリティというのは、寄稿されている作品だけで決まるものではない。まず最初にどのような企画で原稿を集めるのかというのが大切だし、そこから編集を経て、表紙デザインも本文の組版も、こだわろうと思えばどこまでもこだわることができる。

 

そのように、寄稿されている作品以外の観点からも部誌を評価できる大会のようなものがあれば良いなあと考えている。

 

まとめ

個人的には、文フリとかの同人誌即売会で部誌をめちゃくちゃ売るとかが目標でもいいと思っている。ただ、そういう場合でもこういう大会があれば(そしてその大会にちゃんと権威付けが為されれば)、販促としての効果も期待できると思う。

将来は作家や編集者として食べて行きたいという学生たちが総合力で競うような舞台になれればと思うんだけど、どうですかね?