あとーすログ

文芸、演劇、カメラ、インターネットが好きです。

徹夜しても稼げるのはせいぜい8時間

終わらない仕事。迫るリミット。重要度と期限までの残り日数を掛け合わせて優先順位をつけて処理していくが、気がつけば重要度の高い未着手の仕事が残り日数1日になっていたりする。

 

しかし、どこか大丈夫だと思っている自分。大丈夫、徹夜さえすれば終わる…。

 

 

小学生の頃まで、夜には未知の領域がたくさん残されていた。夜更かししてもせいぜい12時まで。それ以降のことは全く何も知らなかった。だから、夜に寝て朝な起きるのはワープみたいだって思っていたし、そんな比喩を使いたくなるのも僕だけではないだろう。

 

そのときの感覚がまだ残っている。

 

しかし、とは言え僕は夜が無限でないことくらい知っている。初めてそれを知ったのは中学生の時だった。

 

僕は美術がとても苦手で、明日までが期限の課題が全く終わっておらずに家へと持ち帰った。苦手なら苦手なりに適当に片付ければ良かったのだが、その適当にやるということの意味が分からないほど美術が苦手だった。よく考えると、今も苦手かもしれない。Webサイトを作ろうとワイヤーフレームを手描きで引こうとして、何も出来ず固まってしまうことがある。

 

その日、他の教科もあった僕は、11時頃から美術の課題を始めた。眠らないようにブラックコーヒーを濃いめにいれて。無限の夜へと出発した。

 

初めは元気だった。BUMP OF CHICKENのアルバムをBGMにして意気揚々と作業をしていた。正直、進捗は芳しくなかった。どうすれば良いか分からないものが、夜更かしを始めたからといって出来るようになるわけがない。それでも、僕には無限の夜があると思っていた。

 

大丈夫かな、と思ったのは3時を過ぎた頃。なんとか糸口は見つけて、あとはひたすら作業をすらだけになっていた。時計の長針は、ゆっくりと4に近づいていく。

 

朝だ。朝になってしまう。そう感じた。異論はあると思うけれど、僕にとっては午前4時から11時半までが朝だ。朝の4時に起きたことはそれまでにも何度かあった。僕はそこで少し身震いした。あれだけ無限に感じられていた夜の短さに。就寝する午前12時から起床する7時までの短さに。

 

終わらないかもしれない、と思ったのはその時だった。これまでは無限の夜のおかげでどんな課題でも途中で眠りさえしなければ終わらせてきた。しかし、それもせいぜい午前1時か2時には終わっていた。午前4時へと刻一刻と向かう中で、このまま課題が終わらないかもしれない恐怖と戦っていた。

 

結論から言えば、その課題は終わった。クオリティはともかくとして、ひとまず終わった。午前6時。僕はそのままベッドに倒れこみ、1時間だけ眠った。

 

23歳になった僕は、大森靖子をBGMにして徹夜を始める。性懲りもなく。もっと早くから始めておけば良かったのに。まだ夜が無限にある感覚があるせいだ。しかし、それと同時に冷めた目で、夜が無限でないことも自覚している。ドキドキしている。僕はちゃんと、何もかもが終わった状態で明日を迎えることができるだろうか。

 

徹夜したって、稼げるのはせいぜい8時間くらいだ。たった1日分の労働時間に過ぎない。しかも、最近は残業をせずに帰るというのが珍しいから、実際は1日の労働時間よりもずっと短い。

 

そんな短い時間に無限を感じていたなんて馬鹿みたいだって今なら分かる。しかもその8時間は、命を削って生み出した8時間だ。眠い目をこすりながらやる作業が効率的なわけはない。徹夜空けもまともに仕事ができない。

 

徹夜は魔法のように思える感覚をまだ引きずっているけれど、そこで稼げるのはわずかな時間だということ、今後は忘れずにいたい。今後はね。