僕は仕事ができない

熊本でWebディレクターをしています。文芸、演劇、カメラ、インターネットが好きです。

お正月に熊本城に行った

大学生の頃から熊本に住んでいる。熊本に愛着があるかというと別にそうでもないような気がするんだけど、かと言って地元に愛着があるわけでもなく、となるとやっぱり熊本のことが好きなのかもしれない。

 

正月はぼーっと過ごしていたんだけど、ちょうど熊本に140字小説マスターの神田澪さんが来ていたので、一緒に熊本城のあたりをぶらぶらしてきた。

 

 

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ちなみに、熊本城はあいも変わらず工事中です。

 

正月と言いながら、この日はすでに1月6日。ちゃんと初詣をしていなかったので、加藤神社に行くことにした。ただし、次の写真は熊本城へ向かう途中にある違う神社。名前は忘れた…。

 

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ちなみに今回は撮って出しでお送りしているのですが、上の最後の写真をレタッチしたのがこちら。

 

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いつも熊本城を遠くから写真に収めているんだけど、近くで見るとめちゃくちゃ崩れていてびっくりする。というか、ここはまだまだ序の口だった感すらある。

 

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ちなみに、神田さんも写真を撮っていた。神田さんはミラーレスのEOS M10、僕はEOS 6D MarkⅡ。

 

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こう言っていいのかわからないんだけど、工事中の熊本城はなんかゲームの世界に出て来そうだ。

 

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加藤神社。おみくじを引くなどする。大吉だった。ちなみに、おみくじの番号の若いやつを引くと大抵はいい結果が出るというライフハックを知ってから、ずっと実践している。だいたい大吉が出る。

 

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熊本城の崩壊具合は本当にすごい。一昨年の春はここで花見したし、その前は普通に中に入って上まで登ったりしたんだけど、影も形もない。

 

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この辺りが特に衝撃的だった。

 

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やけにカラスがたくさんいたので、撮ってしまった。ぜんぜんフォトジェニックじゃない…。

 

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城彩苑に立ち寄る。熊本城周辺、何もないと思ってたけど意外と楽しめるんだなあと思ったりした。

 

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この芋が馬鹿みたいに美味しかった。リピ確定です。

 

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傘が綺麗だった。

 

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最後に、何枚かレタッチしていたものを。

 

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いつも引きこもってばかりいるけど、たまには外に出るのもいいなあと思ったお正月でした。

 

おしまい。

 

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転回者プロデュースvol.15『ジョン王』を観て

2017年の終わりに、熊本は水前寺のstudio in.K.にて、ミュージカル『ジョン王』を観劇した。僕もこのスタジオの機関紙「転回」の制作を行なったり、写真や動画の撮影をしているのだけど、観客として観たのはそういえば久しぶりだ。今回より導入されたチケットシステムPeatixにややどぎまぎしながら、無事に入場することができた。

 

今回上演された『ジョン王』は、ウィリアム・シェイクスピアの同名戯曲を鴦山史歩がミュージカル用にリライトし、亀井純太郎が演出をしたもの。in.K.のお芝居として、シェイクスピア原作でこの作・演出の作品は『十二夜』以来。

 

『ジョン王』は、実在したプランタジネット朝イングランドの王・ジョンを題材にした史劇だ。僕は原作の戯曲も上演も観ていないのですが、このミュージカル『ジョン王』を観るだけでも、だいたいの話の流れはわかるようになっている。

 

以下、観劇の感想をネタバレも含みながら書いていこうと思う。物語の筋がわかったからといって面白みが減じるわけではなく、むしろわかっていた方が面白くなる作品だと思うのなのだが、気になる方は注意していただければと思う。


この『ジョン王』という作品の中で、非常に不思議な立ち位置の役が「語り」だろう。十二月の公演では松田菜々が演じていた。土地や騎士道を重んじる『ジョン王』の登場人物たちに対して、お金などの資本主義的な価値観を持った未来人的な立ち位置で登場する。彼女は、物語の進行に転機を与える役回りであるが、登場人物たちにはその姿が見えたり見えなかったりする。僕はまだこの「語り」という役の立ち位置についてうまく整理ができていないんだけど、1月の上演も見る中でゆっくりと消化していきたいなあと思っている。

 

一方で、稽古を見ている段階では引っ搔き回し・トリックスター的な役回りなんだろうなあと思っていた枢機卿のパンダルフの出演機会が思ったよりも少なくて少し残念だった。トリックスター的な役回りは、どちらかというと「語り」が行なっていた印象。それはそれで別にいいのだが、個人的には藤野未波が演じるトリックスターが舞台を引っ掻きまわしていく様を見たかったので、その点がいささか残念ではある。


…などと、この調子で役者一人ひとりに触れていたらいつまで経っても終わらないので、そろそろ全体について書いておきたいと思う。

 

僕はin.K.のミュージカルを観るときに「多幸感」という言葉をよく使う。しかし、今回の『ジョン王』では、この「多幸感」というものが少し少なかったような気がする。しかし、それは決してネガティブな意味ではない。これまでのin.K.のミュージカル、たとえば『十二夜』や『やくもの冒険』は、決して壮大な物語ではなかった。『十二夜』はラブコメチックな喜劇だし、『やくもの冒険』は非常に素晴らしい作品ではあるものの、物語の筋としては童話的な部分がある。しかし、今回の『ジョン王』は史劇ということもあって、領土や王位の争い、それに伴う登場人物の死などの要素も入りこむことで、これまでの作品に比べてスペクタクルな印象を受けた。

 

もちろん、コメディチックな演出も健在ではあったが、それも「争い」に焦点を当てているものが多く、「多幸感」とは違った味わいを持っていたように思う。

お気に入りにのシーンを一つ挙げるとするならば、ジョンとフィリップ2世が対峙して、ジョンとアーサーのどちらが王に相応しいかの争いをするシーンだろうか。歌謡曲を思わせる曲調に乗ってお互いの意見を主張するのが大変心地よく、あそこだけ繰り返し見ていたいと思ったほどだ。もちろんこれは、ジョンとフィリップ2世を、僕の所属しているぽでぃっきゅのメンバーである瀬上・野島が演じているからという贔屓目もあるのだけど…。

 

とにかく、僕はin.K.以外でミュージカルを観たことがないのでこういうことを言っていいのかわからないんだけど、すべてを歌とダンスで埋めてしまうミュージカルというのは、エンタメとしてすごく強いと思う。ストレートプレイだと間合いがつまんなかったりすると一気に地獄なんだけど、ミュージカルはずっと歌っているのでずっと楽しい。これは素晴らしいことだと思う。

 

書いているうちにどんどんと偏差値が低くなっていくので、感想はこのあたりで。おそらく、まとまった感想はまた次号のstudio in.K.の機関紙「転回」にも書くと思うので、次回の公演にお越しいただければと思う。

【観劇記録】あべゆう×ピッピ「ぽじ」"関係を結ぶこと"と"リアルの手触り"について

ちょっと前の話になるんだけど、花習舎にて、あべゆう×ピッピ「ぽじ」を観た。作・演出は不思議少年の大迫さん。

 

以前から、大迫さんの私小説的なのにがっちりとした構成のある作品や演出が好きだったのだけど、実は前回に作品を観たのが数年前だったりするので、今回は久し振りに大迫さん演出の作品を見れてとても良かった。以下、内容にも触れつつ感想を。


僕はこの「ぽじ」という作品を見て、関係を結ぶことについて考えていた。一人の男をめぐって、そこに奥さんと不倫相手がいる。この女二人は、本来であれば関係を結びたくないものだろう。男と妻、あるいは男と不倫相手との関係は、愛を求めてその二人の間だけで結ばれる関係だ。ところが、妻と不倫相手という関係は、直接的に繋がりがあるわけではない。そこには、必ず男という媒介を必要とする。また、そこには憎しみが渦巻いていて、負の感情によって関係性を構築する必要がある。これには、多大なエネルギーが必要となる。

 

できれば、自分は関わることなく、もう一人の女との関係性が途切れてほしいとそれぞれの女は思うだろう。しかし、なかなか思うように事は進まない。それならば、やはり二人の女が直接関係を結ぶしかないのだ。

 

はじめに妻が不倫相手に水をかけて、その後に自然に話しかけようとするシーン。あれは、そんな関係性の二人をどうリアルに描くかの挑戦であったと思う。そこには憎しみや恐怖といった感情があるけれど、しかし、初対面の相手を憎むのはなかなか難しくて、様々な感情がないまぜになるはずだ。そのように感情がぶつかりあったとき、どういった反応がもたらされるのか。そこに激情がうまれるのは一つの答えだと思うけれど、「ぽじ」では、もっと静かな形のリアルが展開される。

 

芝居の中にどこまでリアルを持ち込むのか、あるいはどのようなリアルを実現するのかは演出家の特徴が色濃く出るところだと思うのですが、僕は大迫さんからもたらされるリアルの手触りが好きんだなあと改めて思った。

 

一緒に観た何人かの人はこれを観て辛い気持ちになったと言うし、出演していたあべさんやピッピさんも同じようなことおを言っていたんだけど、僕はあまり辛くならなかった。あまり自分毎として観なかったのが大きいと思う。ただただ、奇妙な関係性を結ぶ二人の女性のリアルがどう展開していくのか、というところに興味があった。

 

この二人の女は、お互いが愛する男さえいなければ、別に負の感情で関係を結ぶ必要はない。だからこそ、この二人が仲良く喋るシーンも成立しうるし、実際そういうシーンが登場した。

 

感情は常に単一ではなく、入り混じり、反転して、それぞれの感情がそれぞれの感情を高め合ったり殺しあったりしてどんどん移り変わっていくものなのだなあいう感動を得た。そういう演劇体験だったと思う。

 

何だか変な書き方になってしまったんだけど、僕が言いたいのは「ぽじ」がめっちゃ面白かったということだけです。これまでに色んなところで上演されていて、再演されるような雰囲気でもあったので、皆さまのお近くで上演される際はぜひ行ってみてください。

第三回140字小説大賞

第一回、第二回と10月に募集をしていた140字小説大賞なのですが、仕事や別の同人企画、演劇などなど色々な忙しさを言い訳にしているうちに、ついに12月も目前となってしまいました。

 

なんとか年内にやってしまいたいと思っていたので、思い立ったが吉日、今日から募集をはじめます!

 

年内いっぱいに募集して、年が明けてからゆっくりと選考させていただこうかと思っております。どうぞよろしくお願いいたします!

 

以下、詳細です。

 

【応募規定】

  • 締め切り:2017年12月31日。期間内であれば、何度でも投稿することができます。
  • 文字数:140字以内(スペース、改行を含む)。規定に沿わないものは、審査の対象になりませんので、ご注意ください。
  • 言語:日本語で書かれたものに限ります。ただし、一部に他言語を含むのは構いません。
  • タイトル:タイトルは付さないでください。
  • Twitterアカウント名を付して投稿してください。後ほど、本人確認をさせていただく場合がございます。
  • 最優秀賞(1編)と、優秀賞(数篇)を決定いたします。最優秀賞、優秀賞作品は、当ブログと140字小説botにて、ツイッターアカウント名と共に発表させていただきます。
  • 過去に140字小説botへご投稿いただきました作品は、審査の対象になりません。
  • 自身のTwitterやブログ等で発表したものをご応募いただいても構いません。
  • ご不明な点がございましたら、Twitterアカウント@ATOHSaaa、もしくはメールでatohslit1113@gmail.comまでご連絡ください。

【審査】
140字小説bot管理人あとーすの独断と偏見で選ばせていただきます。ご了承ください。

【発表】
最優秀作と最優秀作は、2017年1月中を目処に発表いたします。(あくまで目処であり、遅れること可能性が大きいと考えていただいて差し支えありません)

【投稿】
投稿は、以下のフォームよりお願いいたします。

 

「初めて知った」は日本語として適切なのか?

「えー、そうなの? 初めて知ったー!」

 

女の子にこう言われて悪い気がする男はいないだろう。たとえ、その言葉が嘘であったとしても。そう言われたいがために、日々マニアックな知識を詰め込んでは、誰のためにもなりはしないそれを披露するときを今か今かと待っている。そういう生き物なのだ、所詮、僕らは。

 

ところで、この「初めて知った」という表現に違和感を覚えたことはないだろうか。知る、というのは、初めて以外にあり得るのか? 2回目に知る、ということはあり得るのか? 僕はずっと以前に疑問に思ったらしく、メモ帳の隅に「初めて知った、という表現について」という走り書きがあった。たぶんここまで読んで10人中8人は「どうでもいい…」と思っているだろうけど、気になってくれているかもしれない2割の人のために、ちょっと考えてみようと思う。

 

 

一回きりの「知る」こと

「初めて知った」という表現に違和感を覚えたことがあると言っても、僕がこの表現を使わないというわけではない。むしろよく使う。それは、世界は驚きと発見に満ちているからだ。

他の人が使っているのもよく聞く。僕は小さい頃から事あるごとに知識をひけらかすのが大好きで、母親によくその日仕入れた知識を披露しては「初めて知ったー!物知りだねー!」と言ってもらっては小さな自尊心を満たしていた。

 

しかし、上にも書いたように「それ知ったの2回目ー!」という表現は聞いたことがない。そう考えると、「初めて知ったー!」という表現も少しおかしいような気がしてくる。初めて、知る? 2回目に、知る?

 

「それ知ったの2回目ー!」は、文法的にはおかしくないはずだ。「知る」を別の動詞、たとえば「食べる」に変えれば「それ食べたの2回目ー!」と自然な日本語になる。「それ食べたの3回目ー!」も「それ食べたの4回目ー!」も許容される。3回目とか4回目とか覚えている人がいるとは思えないが、今まで何を何回食べたか完璧に覚えている人が登場するちょっぴりシュールな漫画だと思えば成立しないことはない。でも、「それ知ったの2回目ー!」は、そういうシュールじゃ誤魔化されない不自然さなのだ。

 

それは、「知る」ことが一回きりの行為であるからだ。たとえば「生まれたの2回目ー!」とは言わないし、「童貞喪失2回目ー!」とも言わない。比喩的には、2回目の誕生とかセカンド童貞という表現もありだけど、現実的には人生において生まれるという行為は一回きりだし、童貞も喪失できるのは一度だけだ。同じように、何か特定の対象を「知る」というのも、一回きりの行為なのだ。

 

 

「理解する」と「知る」

しかし、色々と用例を探ってみると、たとえば「これからお互いのことを徐々に知っていきましょうね」という表現は不自然ではないように思われる。こう書かれると、なるほど「知る」という行為に段階があるように感じられる。一回きりとは、0か100の世界である。「食べている」というとき、あなたはきっと「食べつつある」のだろう。食べるは0か100ではない。しかし、「生まれている」というとき、あなたは「生まれつつある」のではない。生まれてしまっている。「知っている」というとき、「知りつつある」のではない。知ってしまっているのだ。

 

「知る」と似通った言葉に「理解する」という言葉がある。先ほどの「お互いのことを徐々に知っていきましょうね」というときの「知る」は、どちらかといえば「理解する」という言葉の意味に近いかもしれない。「理解する」は、「知る」と比較すると段階的なものを担当しているように思われる。たとえば、哲学を「知る」のは一度だけだろうけど、哲学を「理解する」というのは非常に段階的なものだ。

 

そう考えると、「これからお互いのことを理解していきましょうね」と「これからお互いのことを知っていきましょうね」というのも、意味はほとんど同じようだが微妙な違いを感じ取れるような気がする。前者は、対象を一つの総体としてじんわり認知していくけれど、後者は対象をいくつかのパーツに分解して、「あ、八重歯がるんだ!」「あ、こういうことでなくタイプなんだ!」と一つひとつ発見していくような印象を受ける。やっぱり、「知る」は一回きりという印象が強い。

 

「初めて」という感動

さて、ここで問題は最初に戻る。「知る」が一度きりの行為であるならば、「初めて知ったー!」という表現はやはりどこかおかしなものになりはしないだろうか。

 

ここで、男が無条件に喜ぶ表現を思い出してみよう。「こんなの初めて…!」である。ここでは省略が起こっている。 補完すると、「こんな(経験)初めて…!」という風になるだろう。本当にその経験が初めてであるかどうかは僕らにはならあずかり知らぬところであるが、表現としては特に問題がないように思われる。

 

ここで重視されているのは「初めてであること」だ。省略されなかった「初めて…!」が、そのこと自体の感動を伝えている。

 

先ほどの「初めて知ったー!」が不自然かもしれないと思うのは、「知る」ということに重きを置いているためではないか。ただ知ったことを伝えたいだけであれば、「知る」のが「初めて」であることは当たり前だから、馬から落馬的な重語表現として捉えられるが、「はじめて知ったー!」というとき、それは初めてであること、それによる感動を伝えたいのではないだろうか。そんな意図が隠されていたのか!初めて知ったぞ!!

 

おわり

などというのは、僕が深夜のすき家でカレー南蛮牛丼を食べながら考えた妄言なので、それほど真面目に考えていただく必要はない。なので、女の子から「初めて知ったー!」と言われたときに、「初めて知ったって、なんか変な表現じゃない?だって、何かを知れるのって一回きりだよね。でも、その表現が初めてであることの感動を強調しているのなら、僕はその日本語が間違っているとは言えないんじゃないかと思うんだ」と返してしまう気持ち悪い男にならないように注意してほしいと思う。

徹夜しても稼げるのはせいぜい8時間

終わらない仕事。迫るリミット。重要度と期限までの残り日数を掛け合わせて優先順位をつけて処理していくが、気がつけば重要度の高い未着手の仕事が残り日数1日になっていたりする。

 

しかし、どこか大丈夫だと思っている自分。大丈夫、徹夜さえすれば終わる…。

 

 

小学生の頃まで、夜には未知の領域がたくさん残されていた。夜更かししてもせいぜい12時まで。それ以降のことは全く何も知らなかった。だから、夜に寝て朝な起きるのはワープみたいだって思っていたし、そんな比喩を使いたくなるのも僕だけではないだろう。

 

そのときの感覚がまだ残っている。

 

しかし、とは言え僕は夜が無限でないことくらい知っている。初めてそれを知ったのは中学生の時だった。

 

僕は美術がとても苦手で、明日までが期限の課題が全く終わっておらずに家へと持ち帰った。苦手なら苦手なりに適当に片付ければ良かったのだが、その適当にやるということの意味が分からないほど美術が苦手だった。よく考えると、今も苦手かもしれない。Webサイトを作ろうとワイヤーフレームを手描きで引こうとして、何も出来ず固まってしまうことがある。

 

その日、他の教科もあった僕は、11時頃から美術の課題を始めた。眠らないようにブラックコーヒーを濃いめにいれて。無限の夜へと出発した。

 

初めは元気だった。BUMP OF CHICKENのアルバムをBGMにして意気揚々と作業をしていた。正直、進捗は芳しくなかった。どうすれば良いか分からないものが、夜更かしを始めたからといって出来るようになるわけがない。それでも、僕には無限の夜があると思っていた。

 

大丈夫かな、と思ったのは3時を過ぎた頃。なんとか糸口は見つけて、あとはひたすら作業をすらだけになっていた。時計の長針は、ゆっくりと4に近づいていく。

 

朝だ。朝になってしまう。そう感じた。異論はあると思うけれど、僕にとっては午前4時から11時半までが朝だ。朝の4時に起きたことはそれまでにも何度かあった。僕はそこで少し身震いした。あれだけ無限に感じられていた夜の短さに。就寝する午前12時から起床する7時までの短さに。

 

終わらないかもしれない、と思ったのはその時だった。これまでは無限の夜のおかげでどんな課題でも途中で眠りさえしなければ終わらせてきた。しかし、それもせいぜい午前1時か2時には終わっていた。午前4時へと刻一刻と向かう中で、このまま課題が終わらないかもしれない恐怖と戦っていた。

 

結論から言えば、その課題は終わった。クオリティはともかくとして、ひとまず終わった。午前6時。僕はそのままベッドに倒れこみ、1時間だけ眠った。

 

23歳になった僕は、大森靖子をBGMにして徹夜を始める。性懲りもなく。もっと早くから始めておけば良かったのに。まだ夜が無限にある感覚があるせいだ。しかし、それと同時に冷めた目で、夜が無限でないことも自覚している。ドキドキしている。僕はちゃんと、何もかもが終わった状態で明日を迎えることができるだろうか。

 

徹夜したって、稼げるのはせいぜい8時間くらいだ。たった1日分の労働時間に過ぎない。しかも、最近は残業をせずに帰るというのが珍しいから、実際は1日の労働時間よりもずっと短い。

 

そんな短い時間に無限を感じていたなんて馬鹿みたいだって今なら分かる。しかもその8時間は、命を削って生み出した8時間だ。眠い目をこすりながらやる作業が効率的なわけはない。徹夜空けもまともに仕事ができない。

 

徹夜は魔法のように思える感覚をまだ引きずっているけれど、そこで稼げるのはわずかな時間だということ、今後は忘れずにいたい。今後はね。

実家は簡単に僕を10kg太らせてしまう

タイトルが全てである。実家で2ヶ月半過ごすうちに10kgも太ってしまった。

 

生まれてこの方ずっとでぶで、痩せている人の気持ちはわからない。しかし、高校生の頃は170cmで体重65kgと、まあ痩せてはいないけれどメタボと呼べるほどではないという体型だった。

 

それが大学を卒業する頃には85kgになり、これはいかんと一念発起して痩せたのだった。その記録は、以下の記事を読んでいただければと思う。

 

atohs.hatenablog.com

 

 

最終的には75kg前後を行ったり来たりしていた。そのうち65kgまでは落とそうと考えていたのだ。

 

ところが、5月のはじめに期間限定で福岡への出向が決定した。その間、久留米にある実家から通うことに。そしたら、戻った。また、85kgだ。

 

正確に言うと、昨日測った時点で84.3kgであった。やばい。メタボ目前である。もしかしたら、もはやメタボかもしれない。

 

なぜ、実家はこれほどまでに僕を太らせてしまうのか。

 

実家が僕を太らせる理由

三食がっつり食べる

熊本で一人暮らしをしていると、割と不規則な食生活になりがちだ。しかし、不規則ながらも食べる量はセーブする方向に向かう。朝食は食べないことが多かったし、昼ごはんも簡単に済ませることが多い。夜は割とたくさん食べるけれど、ビールを飲むようなことはなかった。

 

ところが、実家に帰ると状況は違う。まず朝ごはんが出る。しかもかなりがっつり。そして、うちには高校生の弟がいるので、母親がついでに僕のお弁当も作ってくれていた。そして、夜はその弟と同じくらいの量のご飯を食べる。ちなみに弟はサッカーをしているので、運動している分は食べても構わない。しかも僕は、毎日ビールを飲んでいた。

 

ありがたい話なのである。本当に。何もしなくてもご飯が食べられるし、ビールも飲める。実家は最高なのである。

 

しかし、それが僕を10kgも太らせてしまった。

 

 

三食以外もよく食べる

実家には大量のお菓子をアイスがあり、三食以外にもよく食べた。具体的に言うと、夜ご飯を食べた後に普通にかりんとうや芋けんぴ(僕の大好物だ)を食べたりする。しかも一袋。軽くプラス400kcalだ。

 

休みの日はさらにひどく、おやつにお菓子を食べた上に、夜ご飯の後にアイスを食べたりしていた。太るはずである。

 

 

食費がかからない

さらに、三食の飯もお菓子も、基本的には家においてあるものなので食費がかからないのである。お金がかかるのであれば自分の財布の中身がゴリゴリと削られていくので歯止めも聞くが、何のダメージもないので際限なく食べてしまう。

 

 

今後の対応

どう考えてもこのままでは普通にまずいので、とりあえずダイエット計画を立てている。

 

と言いながら昨日は焼肉をたらふく食べて、しかもお酒も大量に飲んでいるのだけど…。まあ今日からということで。

 

最近は基本的に自炊もしないので、セブンイレブンでいかにカロリーと糖質を抑えながら、満足度の高い食料を調達できるのかということにかかっている。

 

とりあえず今日は、定番のサラダチキンを食べながら、豆腐そうめんというダイエット専用食みたいなものを見つけたので食べてみた。

サラダチキンは価格とカロリーの割に満足度も高いのだけど、豆腐そうめんはちょっともの足りないという感じがした。

 

運動もしなければならないのだが、そのあたりは苦手なのでぼちぼち計画していこうと思う。

 

とりあえず、太ったのと同じ期間の2ヶ月半で元に戻したいなという気持ちがあります…!