あとーすログ

熊本でWebディレクターをしています。文芸、演劇、カメラ、インターネットが好きです。

舞城王太郎『好き好き大好き超愛してる。』を読んだ

『みんな元気。』を読んだときに舞城王太郎無理だなーと思って、『ビッチマグネット』を読んだときにめちゃくちゃ面白いなと思って、今回『好き好き大好き超愛してる。』を読んで、まあやっぱり面白いのかなあと僕の中で舞城王太郎像がまた一歩固まった次第です。

表題作『好き好き大好き超愛してる。』は、連作短編と呼べなくもないかもしれない。単純に柿緒パートが長編の主題で、他のパートは補完的な役割を担っているように感じました。何を補完しているのかという具体的なところまではまだ考えが至っていないのですが、全編通して「死ぬこと」と「愛すること」に書かれているというような気はします。

 

好き好き大好き超愛してる。』は、以下のような書き出しで始まる。

 愛は祈りだ。僕は祈る。僕の好きな人たちに皆そろって幸せになってほしい。そえrぞれの願いを叶えてほしい。温かい場所で、あるいは涼しい場所で、とにかく心地よし場所で、それぞれの好きな人たちに囲まれて楽しく暮らしてほしい。

舞城王太郎好き好き大好き超愛してる。』)

 PlentyかGalileo GalileiかOverTheDogsかよ、そんなのが読みたいんじゃねえんだよ!と思っていたのですが、この冒頭部も書き方が非常にうまい。「祈りはそのまま、愛なのだ」とか陳腐な言葉が書かれているのですが、どうして祈りはそのまま愛なのかということも周到に書かれているし、作品を全部読み終わった後、確かに祈りはそのまま愛なのかなあと思ったりもするわけです。

さて、そんな本作は冒頭2ページの後、4つのパートで語られることになります。

 

まずは害虫ASMAに身体を侵食される女子大生を描いた「智依子」パート。身体の中に入り込んで身体を食う害虫ASMAという設定が強烈で、これだけで長編になるのではないかと思いました。

智依子の身体にはASMAの二大勢力がいて、その勢力同士が戦いあい、智依子の身体食いつぶしていく。全編読んだ後に、もしかすると智依子の身体は地球の比喩なのかもしれないと思いました。僕ら(ASMA)が争うことによって、地球(智依子)が滅んでしまう、みたいな。でも、舞城王太郎がそんな安易な比喩を持ち出すかなあという疑問はあります。

 

「佐々木妙子」パートは、夢と現実がどんどん曖昧になっていくのが面白い。夢は古今東西で物語のテーマとなっており、夢と現実が交わる話というのもまあたくさんあるわけですが、その中でもきっちり舞城ワールドを展開しているという印象を受けました。

 

「ニオモ」パートは、アダムとイブとか神との戦いとか、すげえ青年漫画のバトルものっぽいなと思いました。というか、『最終兵器彼女』を思い出しました。世界を滅ぼそうとする神との戦い、あるいはアダムとイブの恋愛(のような)関係を描くって、まんまセカイ系っぽいなと思います。

また「ろっ骨融合」というのが面白い言葉ですね。もちろんこれは、イブがアダムの肋骨から生まれたという話に由来するのでしょう。キリスト教的な見地からこの物語を読み解くと、また面白いのかもしれませんね。

 

さて、物語の本筋になる「柿緒」パートですが、基本的に「死ぬこと」と「愛すること」ばっかりです。途中で作家が「書く」ことについて色々と悩むシーンがあるのですが、そういうところがメタっぽいなあと思いました。まあ、読んでください。

 

同時に収録されていた「ドリルホール・イン・マイ・ブレイン」も面白かったのですが、読むのはどちらかといえばこちらの方が疲れてしまいました。ただ、こちらはもうメタ構造がバリバリすぎ。ミクロとマクロがつながっているということを、うまく表現しているように思います。まあ、こちらも読んでください。

 

 

舞城王太郎の作品は、平易な言葉で論理的なことを語ろうとし、結局は失敗してしまうところに面白さがあると僕は思っています。また他の作品も読んでみます。

 

好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)

好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)

 

 (文庫版しか無かったので文庫版のamazonリンクを貼りますが、こちらには「ドリルホール・イン・マイ・ブレイン」は収録されていないようです。でも、解説がついてるからこちらを買うのもありかも!)