あとーすログ

文芸、演劇、カメラ、インターネットが好きです。

本谷有希子『自分を好きになる方法』を読んだ

ノルマを決めればやりたいことが進むのではないかと思って、一週間のノルマを決めたところ、土曜日でノルマを達成してしまったので、他にもやらなければいけないことがあるのですが、とりあえず本谷有希子『自分を好きになる方法』を読みました。

単行本の帯には「ささやかな孤独と願いを抱いた女性の一生を『6日間』で描く傑作長篇小説」とあります。本の帯は、若干の誇張があるもののほぼ的確だなと毎回感動してしまいます。

 

主人公の女性の名前は「リンデ」。友人の名前も「カタリナ」「モモ」と、現代日本からは距離を取ろうとしている姿勢が感じられます。それは文体にも現れていて、たとえば会話文ではエクスクラメーションマークが多用されており、アメリカのコメディを見ているような気分になりました。

 

さて、本作では16歳、28歳、34歳、47歳、3歳、63歳のある一日が描かれています。

16歳の頃のリンダは、スクールカースト下位の女の子。いかにも小説の題材になりそうな女の子です。リンダがキラキラグループから弁当に誘われ、それを下位グループの仲間に説明するところが、特に緊張感があります。これは小説全体に言えることですが、リンダは他人とコミュニケーションを取るのが最高に下手くそだなと思いました。どうでも良いことをいちいち考えてしまう。僕らが無意識に流してしまうところを、うじうじと考えて、そうしてコミュニケーションも人間関係も人生も破滅へと向かってしまう。そういう人生だからこそ、小説になるのかもしれませんが……。

28歳のリンダ。「そんな男と結婚するのはやめちまえ!」と心の中で僕は叫んでしまいました。その男の結婚したかどうかは、34歳のリンダの話で明らかになります。

47歳のリンダは、それなりに友人にも恵まれているのに孤独に溢れています。それは、やはり彼女のコミュニケーション能力の低さに起因しているというか、ああ人生失敗しているなあと僕は感じてしまいました。でも、彼女と僕の行動様式は自分と似ているところもあって、これは他人事じゃないなとも思いました。

時間が巻き戻って、3歳のリンダ。3歳の頃のリアリティって、どんなものだったかなと振り返ってみたのですが、生憎僕は小学生以前のことを全く思い出せませんでした。ただ、ここまで色々なことを考えていなかったとも思うのですが……。

63歳のリンダ。僕はやっぱり、こんな生活は嫌だなあとぼんやりと思いました。これが20代30代なら許されるけれど、63歳でこれはやばい。やばいけれど、20代30代でだらしない生活を続けていれば、60代でもきっとこのようになってしまうのだろうなあと考えました。

 

63歳のリンダの物語を読んでいるときに、ずっと考えていたことがあります。それは、16歳の頃にキラキラグループに属していた子たちは、どのような人生を送っているのだろうか、ということです。別に、リンダがだらしない生活を送っているのは学生の頃にスクールカースト下位だったからというわけではないと思いますが、他のグループでお弁当を食べることを相談するだけでドキドキしていた女の子がこんな生活を送っているならば、恐らくそんなことも気にせずにキラキラしていたグループの人たちは、どんな生活を送っているのかなあと気になっただけです。

 

今年に入って本谷有希子を読み始めて、これで4作目。最初に『生きてるだけで、愛』を読んだときに凄い作家だなあと思って、同じような作品を書き続けているのかと思えば実は作品ごとにテーマも書き方も全然違っていて、さらに凄い作家だなあという思いを新たにしています。

映画の『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』が好きなので、小説版も読んでみたいです。

 

自分を好きになる方法

自分を好きになる方法

 

 

情報でもなく、物語でもない 大森靖子+最果タヒ『かけがえのないマグマ』

大森靖子の自伝的小説が最果タヒによって書かれるって、この世で一番エモい小説が出来上がるに決まってるんですよ。僕もそのうち買おうかなあと思っていたのですが、ローチケでサイン本が手に入ると聞いて、即購入。ポンタカードに入会してしまいました。ローソンなんて滅多に行かないのに。

 

19:00~21:00に再配達していた本が18:40くらいに届いて、郵便局の人が「ちょっと早くてすみません」なんて言っていたけれど、心の中では「マジありがとう!」と叫んで、届いた瞬間に読み始めていました。

開くと、ピンク色の文字の羅列。彼女たちらしい。ピンク。大森靖子マジックミラーの歌詞に次のようなものがあります。

 

モテたいモテたい女子力ピンクと

ゆめゆめかわいいピンク色が

どうして一緒じゃないのよ あーあ

  大森靖子『マジックミラー』

 ゆめゆめ可愛いピンク色の文字。そこには、大森靖子の激動の人生が描かれています。正直、大森靖子を知らない人は、この小説を読んでもあまり面白くないのではないかなと思う。もちろん、小6の時に強姦をされたとか、美大に馴染めず休学して音楽をやっていたとか、そういうアブノーマルな部分もあります。けれど、それは小説にしてしまうほどの虚構性とか特殊性を持っているわけではなくて、大森靖子その人が今ここで歌っている奇跡を再確認するために読むのだろうと思います。

僕だって、大森靖子という存在を知ってまだ1年くらい。そんなにわかファンの僕がこんなに打ちのめされるのだから、大森靖子がずっとずっと好きだというファンは、この本を読んで一体どういう気持ちになるのでしょう。

 

ところで、記事タイトルの「情報でもなく、物語でもない」というのは僕が考えた言葉ではなく、冒頭の文章からお借りしています。

この本は、大森靖子という人を、情報でも物語でもなく、生きている人として、そのまま伝えるためにあります。

  『かけがえのないマグマ』

 

 大森靖子は間違いなくこの瞬間も生きていて、そんな事実をTwitterを見ながら確認したりしています。終わり。

 

かけがえのないマグマ  大森靖子激白

かけがえのないマグマ 大森靖子激白

 

 

舞城王太郎『ビッチマグネット』を読んだ

これは良かった。舞城王太郎『ビッチマグネット』。こんにちは、あとーすです。

 

舞城王太郎という作家を知ったのはつい最近のことで、始めて読んだのは文庫版の『みんな元気。』です。去年の夏頃だったような気がします。表題作を含めて3作品を周力しているのですが、ぶっちゃけた話をすると超つまらなかったんですよね。一番長かったのが表題作なので、表題作の話をしますと、家族を主題に書いているんだろなあというのは分かるんですけど、手法が独特で読んでて意味が分からないんですよね。これは僕の読解力不足に起因しているのかもしれないのですが、あれを面白いと思う人はどういうところを面白く読んだのでしょうか。気になります。

みんな元気。

みんな元気。

 

 

ところが、『ビッチマグネット』はとても面白かったです。基本的な部分は確かに『みんな元気。』に似ているところもあるのですが、圧倒的に情報が整理されているしわかりやすいなと思いました。もしかすると、そういう風に整理することで舞城王太郎らしい何かが捨てられているのかもしれませんが、まあそれは3作目を何か読んでから判断することにしようかなと思っています。

『みんな元気。』と『ビッチマグネット』をどちらも読んで思うのは、時間の進め方が本当に唐突だということ。会話文を中心としてほんの数時間は数日のことをギュッと書いて、突然3行くらいで一気に1年経っていたりする。しかも、そこには結構人生において重要なことが書かれていて、たとえば大学に入学したとか、初めて彼氏ができたとか、初体験をしたとか、ええそれは小説の材料になることじゃないんですかーーーー。みたいなことです。それを軽やかに捨てて、小説の本題に正しく向き合って書いているというのは非常に面白いというか、読んでいると無駄なことばかり書いているような気がするのですが、無駄なことはもしかすると綺麗さっぱり捨ててしまっているのかもしれません。

 

あと、『ビッチマグネット』を読んでいると、お前ははてなブロガーかよとつっこみたくなる瞬間が何度か訪れます。散文ではあるんだけど、小説ではなくて、じゃあ何かというとブログに近い。それも、ちょっと頭のいい人が書いたはてなブログの記事。言葉を定義したがって、その定義に従ってどんどんと筆を進めていく、みたいな。そんな感じです。

 

いや、もう、とりあえず読んでみてください。今回は以上!

 

ビッチマグネット

ビッチマグネット

 

 

映画『オデッセイ』を見た

映画館なんてもう何年も行ってないなあと思っていたのですが、よく考えれば最後に行ったのが恐らく高校生のとき。大学生になってからは、映画を一度も映画館に見に行ったことがありませんでした。

TSUTAYAでよくDVDをレンタルしていたので、まあ大学の4年間で好きな映画の1つや2つはできたのですが、まさか映画館に行ってみたことがなかったとは……。自分でもびっくりしてしましました。このままではいかんと思い、映画館で『オデッセイ』を観てきたということです。

 

せっかく映画館で見るのだから、ちょっと高めだけれど3Dで観てきました。3Dは吹き替え版しかなかったのですが、それが普通なのでしょうか? まあ、吹き替えでも字幕でもどちらでも別に良いのですが……。

当日は絶対にコンタクトレンズを入れて行こうと思っていたのですが、やや寝坊してすっかり忘れてしまっており、メガネの上に3Dメガネをかけて見ることになりました。見れないことはないのですが、左手でメガネを抑えながら右手でポップコーンを食べることになります。ドリンクを飲みたいときに非常に困ります。目が悪い良い子のみんなは、コンタクトレンズをして3D上映に臨みましょう。

 

さて、ここからは映画の内容について。

最初から、「うわあ理系の世界だ……」と思いながら映画を見ていました。自然科学についてもSFについてもあまり知識がないので、色々と注釈がついてる方が見やすいなと思ったのですが、まあそれは野暮というものでしょうから……。分からない単語は後で調べようと思って最初のうちは覚えようと思っていたのですが、5単語に1つくらい分からない単語が出てくるシーンがあったので、そこで覚えることは諦めました。

また、火星に一人取り残されたマークは、自分でお腹に突き刺さった通信用アンテナの欠片を取り出した後、「俺は植物学者だ! クルーの排泄物でじゃがいも作るぜ!!」というノリで農耕を始めます。超ポジティブ。Twitterでも、「鬱屈とした話だと思ったらポジティブで笑った……」みたいなツイートを散見いたしました。

 

火星に次の宇宙船が来るまで4年。もしかすると、このままマークが次々と発明をしていって快適な住環境を手に入れるのでは? そういう物語なのでは? と思ったのですが、やっぱり火星での生活は予測もできないトラブルがつきもの。マークの生存をかけた闘いは、さまざまな方へ向かい始めます。

結局マークはどうなるのか、というのは本編を見てからのお楽しみということにしたいのですが、僕が想像していた終わり方とは全然違ったので、ちょっとだけ残念でした。個人的には、火星での娯楽を発見して4年後に救出しにきた人たちに「火星の暮らし? ご覧の通り快適さ!」と言いながら余裕しゃくしゃくで笑うシーンを見たかったです。

 

ところで、マークを助けるためにNASAも様々な手を尽くすのですが、一人の人命にこれだけお金をかけることができるのだろうか……とぼんやり考えながら映画を見ていました。

同じようなことを考えている方がいたので、リンクを貼っておきますね。

d.hatena.ne.jp

 

ああ、でも率直に言うと、この素晴らしい映画を観ながら、僕は「ひとつの命の価値」みたいなものについて、ずっと考えていたんですよね。

 これだけのお金とリスクをかけて、「火星にとりのこされた男」をみんなが救おうとします。

 しかしながら、世界では、空爆に巻き込まれて命を落とす小さな子供もいれば、その場にいただけで、通り魔の犠牲になってしまう人もいる。

 彼を救うための費用を使えば、アフリカで、かなり多くの命が救えたはず。

 同じ「ひとつの命」なのに。

 劇中では「論外」とされたけれど、「他の宇宙飛行士をリスクにさらす」よりも「ワトニーを見捨てる」ほうが、合理的な選択なのかもしれません。

引用元:映画『オデッセイ』感想 - 琥珀色の戯言

 

全くこの通りだな、と僕は思いました。僕だったら絶対にワトニーを見捨てます。もちろん、ワトニーが僕の大親友だとかそういう事情があればまた別ですが……。

しかし、ここでワトニーを救うという選択肢が生まれるということの裏側には、民衆に希望の物語を与えるという思惑があるでしょう。火星で一人取り残されたワトニーはかわいそうな人であり、一度死んだと思われた人であり、宇宙で一人取り残されたというドラマティックな背景の持ち主です。そんなワトニーを救うということは、それ自体が物語となって大衆に届くことでしょう。また、それは人々でエンターテインメントを提供することになるのです。(ワトニーが救われる、というエンターテインメントを僕が享受して何言ってんだという話ではあるのですが……)。

 

久しぶりの映画鑑賞、非常に面白かったです。家で『ダイ・ハード』とか見てもつまんないなあと思うことが多いのですが、映画館で洋画の爆発シーンとか見ると迫力が違いますね。3Dであったということも迫力に関係していたのかもしれません。でも非常に目が疲れるので、映画館に今度行くときは通常版を見ようと思います…!

 

ちなみに、原作の『火星の人』も読みたいなと思っております。

 

火星の人〔新版〕(上) (ハヤカワ文庫SF)

火星の人〔新版〕(上) (ハヤカワ文庫SF)

 
火星の人〔新版〕(下) (ハヤカワ文庫SF)

火星の人〔新版〕(下) (ハヤカワ文庫SF)

 

 

 

以上、あたたかい布団の中より、愛をこめて。

Googleフォームを使って100件以上のアンケートを集めるための覚え書き

このブログやtaskey Uで記事を書くために、あるいは無間書房ラヂヲでのネタにするために、Googleフォームでアンケートを取ることがあります。アンケートは基本的に回答件数が多いほど色々なことに使えるので、僕もなるべくたくさんの回答を集めることができるように色々と工夫しています。

そこで今回は、僕がアンケートを取るときに気をつけていることをいくつか書いていこうと思います。

 

アンケートの内容・タイトルは興味を引くものに

企業のアンケートなんかではよく「回答していただいた方から抽選で○名様に~」というように回答するメリットを付与しようとするものが多く見受けられます。しかし

Googleスプレッドシートでアンケートをしようという方は、恐らくそういう特典を付けることは考えていないのではないでしょうか。考えている方がいれば、たぶんその特典付けるだけで100件は集まると思います。

そこで、アンケートを見た方が思わず答えたくなるような内容・タイトルにすることが重要だと考えます。

「内容」に関しては、アンケートを取る「目的」に関わる部分なので、変更が難しいかもしれません。記事用にアンケートを取るときは、いくつか案を出し、アンケートで回答が集まりそうなネタをわざわざ選ぶこともあります。しかし、そうすることができない場合ももちろん多々あるわけで……。

そういう場合は、せめてタイトルだけでも回答者の興味を引くものにするべきだと考えています。

たとえば、

「日本近代文学に関するアンケート」

よりも、

「あなたの好きな日本の文豪は誰?」

というタイトルの方が、回答者の興味を引くのではないかなと思います。ポイントは、タイトルを見るだけでアンケートの内容がある程度分かるようにするということ。漠然としたタイトルでは、そもそもアンケートへのリンクすら踏んでくれない可能性があります。

このタイトルでアンケートを取る場合、「好きな日本の文豪」以外にも「日本近代文学」について色々と尋ねたいことがあるかもしれません。その場合は、「好きな文豪」を最初の質問に持ってきて、それとうまく絡める形で他の質問を設置しましょう。

 

質問数はなるべく少なく

無駄な質問はなるべく控えるようにしましょう。項目が20個とかあると、途中で答えるのをやめてしまう可能性があります。

もちろん、自分が欲しい情報はしっかりと質問に含めるべきです。しかし、余計な質問は削った方が回答者としては答えやすいです。

たとえばアンケートを取るときに「年齢」「性別」「職業」などの属性を尋ねる場合がありますが、この辺りも不要であればガンガン削りましょう。僕の場合は特に「職業」を尋ねる必要性を感じることがほとんどないので、だいたいのアンケートでは削っています。

 

なるべく「ラジオボタン」を使う

自分で文字を打つスペースが多いと、書いているうちに嫌になってきてしまう回答者もいると思います。僕がそうです。

先ほど挙げた年齢や性別など、できるだけラジオボタンを使って選択できるようにしましょう。

また、質問も自由に書いてもらうよりもラジオボタンで回答してもらった方が回答者の負担が少なくなります。もちろん、これはアンケートの種類によっては難しいと思うので、あくまで参考程度にということで。

 

アンケートの露出を増やす

すごく当たり前のことを書くんですけど、アンケートへのリンクを多くの人に見てもらわなければ、たくさんの回答を得ることはできません。ですから、アンケートがなるべく多くの人の目に触れるようにしましょう。

僕の場合は、Twitterを頻繁に使うので、タイムラインに何度か流すことで目標の数字を大抵突破することができます。リアルでの友だちが多い人であれば、LINEのグループやFacebookに投稿するのが有効かもしれませんね。

特にTwitterの場合は、同じ投稿を数回したくらいでは気にする人はあまりいないと思います(フォロー数が少ない人に鬱陶しがられるかもしれませんが……)。

目的の回答件数に達するまでは、何度もアンケートのURLを流しましょう。

 

まとめ

元も子もないことを言ってしまえば、Twitterのフォロワーが多かったり友だちが多かったりすれば、それだけでたくさんのアンケートを集めることができます。しかし、そうやって油断してアンケートの内容に気を配っていないと、回答が全然集まらないなんてこともありえます。経験談です。

逆に言えば、フォロワーがそれほど多くなくても、アンケートが回答しやすいものであれば、たくさんの回答を得ることができるでしょう。

ここに書いていることはあくまでも基本的なことなので、皆さんで独自のアレンジをしてみてください。

 

以上、暖かい布団の中より、愛をこめて。

斜に構えてでもイベントを楽しめない人は、心がゆっくりと死んでいく

小3の冬、サンタさんからの手紙の筆跡があまりにも母親のそれと似ていてサンタの不在を知りました。こんにちは、あとーすです。

 

クリスマスについて

子どもの頃は無邪気にクリスマスを楽しんでいました。それはサンタの不在が発覚しても変わらず、中学生まではプレゼントをもらっていたし、高校生になってからは現金で5千円もらっていました。

しかし、大学に入ってからはクリスマスを十分に楽しめなくなってしまった気がします。それは、世間一般の「クリスマスはリア充イベント」という風潮が関係しているように思います。僕はリア充*1ではないので、「クリスマスなんて、そもそも日本のイベントじゃないんだからw」とかツイートしていました。

していたんです。大学に入ったばかりの頃は、「クリスマスなのにぼっちだ~」みたいなことを言っていて、そういう意味ではしっかりクリスマスというイベントに反応してそこそこ楽しんでいたんですよね。

しかし、2015年の冬は様子が違いました。卒論で忙しかったこともありますが、2015年に僕は全く、クリスマスに関することをツイートしていないんですよね。これは、意識してそうしていました。クリスマスに関するネタツイートがTLを埋め尽くす中で、「毎年クリスマスのネタツイートするのってダサくない?」くらいのことを思っていました。

けれど、残ったのは虚しさ。12月26日になって、進捗の思わしくない卒論を書き進めながら、僕は虚無を抱えていました。クリスマスを終えて年末に向けたネタツイートがTLを埋め尽くす中、僕はずっとクリスマスのことを考えていました。思えば、2015年は、ほとんどのイベントから逃げていたように思います。バレンタインも、ハロウィンも、誕生日も。本当はそういうものを楽しみたいのに、なんとなくめんどくさくなっちゃって、ダサいと思って、楽しんでない自分に気づいてしまったのです。

 

プレゼントをするのが苦手

 僕はプレゼントをするのが苦手です。他の人にプレゼントをするのが好きという方もいますが、僕はどちらかといえば嫌いです。もちろん僕は誰かにプレゼントをもらうと嬉しいので、他の人にもプレゼントをすれば喜ばれるだろうなあという気持ちがあるのですが、そうは言ってもあまり得意ではありません。

それは別にお金をかけるのが嫌だとか、プレゼントを選ぶのが嫌だとかそういうことではなくて。いや、そういうのも含まれていないとは言えないのですが、圧倒的に何をあげたらいいのか全然わからなくなってしまうのです。

そうして、僕は人にプレゼントをあげることがないので、自分がもらうこともほとんどありません。これは仕方のないことなのですが、だからこそ、イベントを楽しめないと心がゆっくり死んでくぞと声を大にして言いたいわけです。

 

今年こそは

というわけで、2016年はしっかりとイベントを楽しんでいきたいなと思っています。軽率に3ふぁぼくらいしかもらえない斜に構えたネタツイートをして。プレゼントをあげることのできる場面では、ちゃんとプレゼントをして。そのために、プレゼントを渡し損ねているあの人にまずは渡さねばな、と考えているところです。

 

以上、暖かい布団の中より、愛をこめて。

*1:リア充」の定義は様々かと思いますが、ここでは「EXILEが好きそうな人」「ウェイウェイしてる人」くらいの意味です。

行き詰ったときにアイディアを出すたった一つの方法

結論から先に言います。アイディアを出すためには、まずはインプットを行いましょう。

 

カタカナ語をあまり使いすぎると嫌われてしまうため、「インプット」の言い換えを探していたら「入力」以外に思いつきませんでした。こんにちは、あとーすです。

 

人生において、様々な面でアイディアを出すことを求められます。大学に通っている方であればレポートや卒論の題材を考えなくてはならないでしょうし、お仕事をしている方であれば、企画書の内容や効率的な営業の方法を考えたりすると思います。

だいたいはてなブログとかでバズる「泉のようにアイディアが出てくる7つの方法!」というタイトルの記事は、ブレインストーミングマインドマップマンダラチャートなどのすでに知られている様々な方法をただまとめただけのものである場合が多いです。そういう発想方法がまとめられている記事は非常に有用に見えますし、僕もよくブクマします。その結果、同じようなブクマが死屍累々。読んでみても、既視感を覚えるものばかり。それでも、また数日経つとホッテントリにアイディア出しの方法が……。

ぶっちゃけ、ブレインストーミングマインドマップマンダラチャートも、アイディア出てこないじゃないですか。いや、有効活用できる場合もあります。ただ、まっさらな状態では、これらの方法は全くといっていいほど役に立たないんですよね。それぞれの方法は、アイディアの種を可視化して組み合わせるためのものであって、アイディアの種は生み出してくれません。

 

もし、全くまっさらな状態から何かアイディアを出したい場合。そんなときは、まずインプットすることが重要です。

たとえば、漱石の『こころ』に関するレポートを提出しなければならないというときに、『こころ』に対する独自の読みをレポートに書くことも可能でしょう。しかし、普通に読んでいるだけではなかなか『こころ』をどう読んでいのか分からないし、独自の読みも展開することが難しいのではないでしょうか。

レポートを書く際にまず私がやるのは、参考になりそうな書籍や論文を読むということです。そこから、新たな視点を発見することができるでしょう。さらに、もしかするとそこに書かれていることに対して疑問を持つことがあるかもしれません。その疑問を膨らませて論じるだけでも、ある程度レポートとして成立することでしょう。

 

だから、僕は何かアイディアを必要とするものに取り組む場合は、それに関連することをひたすらインプットして、アイディアの種が生まれるのを待ちます。僕は小説を書くのが好きなのですが、「小説を書かなくちゃなあ」と思ってアイディア出しをすることはほとんどなくて、生活をしていて色々なインプットにさらされているうちに「これを小説にすると面白いんじゃないか?」「これとこれを組み合わせると面白い小説が生まれるんじゃないか?」ということを起点にして、小説のアイディアをどんどん広げていく場合が多いです。また、面白い小説を読んで、「この手法は参考になるなあ」と思って取り入れることもしばしば。

 

「インプット」には色々な種類があります。本を読むこともインプットですが、普段通りの生活を送ることもある意味ではインプットになり得るでしょう。普段の生活の中でもっとインプットを行いたい場合は、普段とは違う行動をすることでそれは可能になるはずです。いつもとは違う道を通ったり、いつもとは違う店に行ってみたり。そうしていつもとは違う生活スタイルを取り入れてみることで、新しい発見があることでしょう。

 

と言いながら、僕はひきこもり体質なので、これからは積極的に外に出かけたいなと思っています。

 

以上、暖かい布団の中から、愛をこめて。