あとーすログ

文芸、演劇、カメラ、インターネットが好きです。

BOOK SHORTSの作家インタビューが豪華なことを、作家志望の皆は知らない

こんにちは、あとーすです。

皆さんは、好きな作家のインタビューや対談記事を読みますか? 文芸誌で行われていることが多いのですが、ネットで活発に情報発信を行っている作家でないと、インタビューが掲載された号を買い逃してしまうことも多々あると思います。後でバックナンバーを探そうと思っても、探し出すのが面倒なんですよね。探してもなかなか手に入らないこともあったりして。ちなみに私は、綿矢りさ芥川賞受賞インタビューを読もうと思い、先日、『文藝春秋』の2004年3月号を古本で購入しました。

 

今はネットにインタビューが載ることも多くなりましたね。無料でいつでも読めるものが多いので、特に好きな作家でなくとも色々読んでみると面白いですよ。

ちなみに、たった今「綿矢りさ インタビュー」で検索したところ、楽天ブックスのインタビューが出てきたので後で読むことにします!

楽天ブックス: 著者インタビュー - 綿矢りさ

 

さて、今回紹介したいのは「BOOK SHORTS」というサイトです。

 

このサイトは、ショートショートフィルムフェスティバル&アジアが主体となって行っているプロジェクトのサイトです。1,000~10,000字程度の「翻案小説」を募集しています。大賞賞金はなんと100万円!

ちなみに、私も以前に応募して優秀賞をいただいたことがあります。

『恥の心』伊藤祥太(『恥』太宰治) | BOOK SHORTS

 

小説作品を公募するサイトでは、応募要項のみが書かれているのが普通です。しかし、このサイトでは編集部によるコラムや著名な作家へのインタビューが掲載されています。

恐らく、コラムやインタビューを用意することで検索流入を狙い、賞の知名度を上げることが目的なのでしょう。そして、インタビュイーがとても豪華なのが特徴です。気になった方々のインタビューをいくつか貼ります。

重松清さんインタビュー | BOOK SHORTS

円城塔さんインタビュー | BOOK SHORTS

三浦しをんさんインタビュー | BOOK SHORTS

辻村深月さんインタビュー | BOOK SHORTS

最果タヒさんインタビュー | BOOK SHORTS

など、ジャンルを問わず著名な作家のインタビューが掲載されています。

すべてのインタビューは、こちらから読むことができますので、気になるという方はぜひ読んでみてください。

Interviews | BOOK SHORTS

 

最初の方はコラムなどもあったのですが、このサイトの直近の投稿を見ると賞の結果発表とインタビューばかりですね。

 

さて、このインタビューを掲載していることでどれほど効果があるのかなと気になったので、踏み込んで少し調べてみました。

SimilarWebというサイトにURLを入れてみると、そのサイトがどの程度見られているのかというのが大まかに分かります。

「BOOK SHORTS」のURLを入力して調べてみた結果がこちら。

Bookshorts.jp Analytics - See Traffic Ranking & Stats

 

SimilarWebによると、月間の訪問者数が8,000でした。著名な作家のインタビューを揃えている割には、意外と訪問者数が低いような気がしますね。1人あたりのページビューが2.67なので、こちらは凄い。(当ブログは1.5を切っています)。

もしかすると、意外と皆ここに作家インタビューが掲載されていることを知らないのでしょうか? あるいは、作家インタビューなんて読みたい人が少ないのでしょうか?

たぶん知らない人が多いだけなのではと思いまして、僭越ながらこうして紹介記事を書かせていただいているわけです。

インタビューももちろんですが、本体である賞も魅力的ですので、興味のある方は応募してみてはいかがでしょうか。1ヶ月区切りで優秀賞を出しており、2015年度分は3月まで募集しているようですよ!

BOOK SHORTS

引きこもると、小説のネタに困ります

僕は暇な大学生というやつで、もう授業もほとんどないし、平日はだいたい家でゴロゴロしています。休日も、特に平日と区別がないのでゴロゴロしています。

ゴロゴロばかりしていると何が困るって、小説の内容が全然思いつかなのが一番困ります。書きたい気持ちはあるのに、書くことが全くない。人と会わないので、僕の中で学びもなければ葛藤もないわけです。たまに人と会うこともあるけれど、それも同じ人ばかり。違う価値観の流入もない。だから、僕の小説では家でゴロゴロしているかコンビニにに行くだけの主人公が生まれてしまうのです。

その点、高校時代のことを思い出すとまあなんとか書けなくもないことないのかなあと思います。けれど、高校時代の感傷を再生することは10代までの特権であるような気がして、気が咎めてしまう部分があります。7つ離れた弟が今年高校生になるのですが、弟がいる空間を描き出すことは、もう今の僕には無理なのではないかなあと思うのです。

僕の小説には、主に若い人たちしか出てきません。それは端的に僕の経験の浅さと僕の交友関係の狭さを表していると思います。まあ経験についてはある程度年齢に比例するところもありますが、交友関係については本当に広げといた方がいいよ、と誰へということもなくアドバイスしたくなります。あるいは、僕が僕に向けて言っているのかもしれません。

そういえば中学や高校の頃、そんなに好きでもないソフトテニスを部活でやり、大変な仕事もある生徒会をやっていました。ぼくは、どちらとも交友関係を広げるためにやっていたのだなあと今になって思います。当時から誰かと友達になるのが苦手だったので、そんなに広がらなかったような気もしますが…。でも、部活に入っていなかったら僕は本当に友達がいなかったろうなと思います。小説なんて一行もかけなかったかもしれない。まあ、友達が一人もいないやつの小説というのは、それはそれで面白そうですが…。

もうあと2ヶ月もしたら僕は働き始めていて、いろんな出会いがあるのだろうなあとぼんやり想像しています。中学生の頃、すべての生活は小説のネタになるために存在しているのだと割と本気で考えていて、なんというか、小説のネタになるような生活を送らないと過去の僕に申し訳ないのかなあと思います。やっぱり、中学・高校は強制的に色んなことが起こる場所ですね。大学では色々なことから逃げてしまうことができて、ずいぶんと逃げグセがついてしまったなと思います。

さて、この記事から得られる教訓は…?と僕に聞かれてもよく分からないので、小説を書く方も書かない方も、今日1日を幸せに暮らしましょう(暖かい布団の中から、愛をこめて)

1月に読んだ7冊の本

今年は100冊本を読むぞーと意気込んで、Evernoteに「2016年100冊読破チャレンジ」というノートまで作ってしまいました。

1月は、前半こそ卒論を書いていて忙しかったのですが、提出してしまってからはそこそこ時間もできて、7冊の本を読むことができました。すべて小説です。もうこのブログで感想を書いてしまったものもあるのですが、振り返りのためにまとめたいと思います。

ちなみに、1年で100冊読むためには1月に8~9冊は読まなければならないので、2月は頑張りたいと思います。

 

綿矢りさ『しょうがの味は熱い』

『しょうがの味は熱い』については、こちらにも書きました。

 

atohs.hatenablog.com

僕は好きな作家の一人として綿矢りさを挙げているのですが、全作品を読めているわけではないので、今年のうちにすべて読んでしまおうと思っています。一応、手元に未読の作品は全てあります。本棚をしばらく整理していないので、どこにあるのか分からない作品もありますが……。

綿矢りさは、作品から年を取っている感じが分かっていいなと思います。『インストール』や『蹴りたい背中』ではスクールカースト下層の女子高生を描いたわけですが、年を取るにつれて、社会を知るにつれて、世界が広がっていく感じ。まあ、恋愛が真ん中に据えられていることが多くて、それで世界が広がっていると言えるのか、という問題もありますが。『しょうがの味は熱い』も恋愛小説ですね。でも、僕は綿矢りさの人間の書き方が好きです。あと、文体や比喩が好きなんですよね。

 

しょうがの味は熱い (文春文庫)

しょうがの味は熱い (文春文庫)

 

 

 

カミュ『異邦人』

こちらも、以前に感想めいたものを書いています。

 

atohs.hatenablog.com

 面白かったか、と聞かれると「うーん」と答えざるを得ないのですが、よく考えてみれば僕は『ハリー・ポッター』シリーズ以外で、外国の作品を読んで面白いと思ったことがないんですよね。

でも、後半は面白かったと思っています。これから読む人は、前半はつまらなくても読んでみることをおすすめします。

 

異邦人 (新潮文庫)

異邦人 (新潮文庫)

 

 

 

本谷有希子『生きてるだけで、愛』

これもブログで書いてますね……。

 

atohs.hatenablog.com

 これは本当に面白かった。緊張感を保ちながら、時々笑わせてくれる。おもしろすぎて、このあと本谷有希子の本を二冊買ってしまいました。読むのが楽しみです。

 

生きてるだけで、愛。 (新潮文庫)

生きてるだけで、愛。 (新潮文庫)

 

 

 

川村元気『世界から猫が消えたなら』

ここから先の4冊は、個別に記事を書いていないものになります。

正直に言って『世界から猫が消えたなら』はとてもつまらなかったです。初心者が書いたんだろなというのが分かる感じ。川村さんが企画を務めた映画の『モテキ』とか大好きなので、わざわざ小説なんて書かなくても……というのが正直な気持ちです。

なんというか、プロットにそってまっすぐに書こうとする意図がバリバリ感じられて、読んでいるこちらとしてはつまらないんですよ。寓意みたいなものをめちゃくちゃ詰め込まれるし。伊坂幸太郎はこの辺がうまくて、寓意っぽい言葉も全然押し付けがましくないんですよね。

しかも、『世界から猫が消えたなら』ではギャグがめちゃくちゃスベりまくる。直前に本谷有希子を読んでそれが僕のツボにぴったりハマったからかもしれませんが、まあつまらない。この手のつまらない小説は以前にも読んだことがあります。水野敬也『夢を叶えるゾウ』です。いや、『夢を叶えるゾウ』は自己啓発本として捉えるとめちゃくちゃ面白いんですよ。しかも、その自己啓発本っぽいということをメタ的に捉えることができているのもいい。でも、小説として読むと心底つらいです。寒いギャグを詰め込みすぎている。そういうのを漫画てやったら面白いのかもしれないのですが、小説でやるのは最悪ですよ。で、『世界から猫が消えたなら』も同じスベリ方をしている。『夢を叶えるゾウ』も巻き込んでごめんなさい。

いや、もしかするとラノベとかではこういうのが普通なのかもしれません。今度ラノベちゃんと読むか……。

 

世界から猫が消えたなら (小学館文庫)

世界から猫が消えたなら (小学館文庫)

 

 

 

島本理央『シルエット』

早熟の天才に嫉妬を覚えるタイプの人間なので、島本理央を読んでみました。芥川賞の常連ということでよく名前を見るので、読んでおかなければと思ったのも理由の一つではあるのですが。

で、読んだ感想としては可もなく不可もなく。17歳のときに「シルエット」が群像新人文学賞の優秀作に選ばれたのは本当に凄いと思うのですが、17歳なりの未熟者がある感じ。僕は綿矢りさの初期作品が大好きなので比較に出しますが、『インストール』とか『蹴りたい背中』は未熟だけど未熟だからこそのギラギラした感じがあるんですよね。で、『夢を与える』とか『勝手にふるえてろ』とか『かわいそうだね?』では徐々にそのギラギラした感じが失われていく。『しょうがの味は熱い』なんて、全然ギラギラしてないんですよ! でも、確かに圧倒的にうまくなっていて、磨かれるものがある中で失われていくものがあるんだなあという感じです。

で、島本理央の『シルエット』に収められている作品は表題作を始めとして、ただただ未熟だという感じがします。いや、もちろん僕が書くよりも100倍うまいです。あるいは、もっとうまいかもしれない。けれど、これたぶん今だったらもっともっと書けるんじゃないかなと想像しています。最近の作品を読まずに、勝手に想像してしまい恐縮ですが……。でも、決して嫌いな感じではなかったので、いつか他の作品も読んでみたいなと思っています。

 

シルエット (講談社文庫)

シルエット (講談社文庫)

 

 

 

嶽本野ばらロリヰタ。

この小説を読むまで、僕はずっと嶽本野ばらを女性作家だと思っていました。男性作家でした。まず、そこでびっくり。

これを読んで、僕は小説の新しい扉を開いたような気がします。「めちゃくちゃ面白かった!」ということはできなかったのですが、少なくとも他の作品を読んで「小説」というものの意味を考えたくなりました。本当に、今まで全く読んだことがない感じの作品。

ネタバレになっちゃうんですけど、だからこれから『ロリヰタ。』を読もうと思っている方はこの部分を飛ばして読んでもらえると助かるんですけど、「僕」が恋した「君」が実は小学生でした! という部分が衝撃的すぎます。「間違えるわけねえよ!」と心の中でつっこんだのですが、でも、もし本当に間違えたら……? と自分の問題としてこの小説を読んでみると、「僕」はとても真面目で自分を持った人物だなあと思います。僕だったら、たぶんショックで寝込んでしまいます。

 

ロリヰタ。

ロリヰタ。

 

 

 

星新一『ようこそ地球さん』

星新一作品は理論社ショートショートシリーズで大抵読んでいると思うのですが、読んだことのない作品もたくさん入っていました。それは、『ようこそ地球さん』が初期の作品を集めたものだからかもしれません。洗練されていない作品もいくつかありましたし、何より「ショートショート」と呼ぶにはちょっと長い作品があるのも印象的でした。でも、前半に収録されている作品はザ・星新一といった感じ。

実は星新一の長編小説も買っているので、そのうち読みたいなあと思っています。星新一ショートショートの面白さは十分すぎるくらいに知っているつもりなのですが、長編は果たしてどうなのか……。もちろん期待していますが、やや不安もあります。

 

ようこそ地球さん (新潮文庫)

ようこそ地球さん (新潮文庫)

 

 

 

まとめ

本当はすべて個別に記事を書こうと思っていたのですが、「そんなに書くことないな……」と思ってやめてしまいました。2月も、このスタイルでまとめることができればいいかなと思います。おすすめ小説、募集しています。

 

 

長編脳でも分かる140字小説の書き方のコツ4つ

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昨年から200個くらいの140字小説を作ってきました。そこで今回は、僕自身の備忘録も兼ねまして、140字小説を書くときに気をつけていることを書き留めたいと思います。

正直な話、140字小説を書くのにテクニックも何もいらないので、超細かいことをつらつら並べていきたいと思います。また、140字で書けばなんでも140字小説になってしまうと思うので、「あとーすさんみたいな140字小説を書きたい!」ということであればこの記事は有用かなと思います。僕の140字小説が嫌いな人は、ほしお先生の140字小説を読んでほしお先生の140字小説講座にいきましょう。

 

ちなみに僕は、いつも「篠原歩」という筆名で140字小説を投稿しています。

ほしおさなえ先生の素敵な140字小説も、一編貼らせていただきます。

 

一気に70字くらい考える

いきなり細かい点で申し訳ないのですが、たくさん140字小説を作ってきて、これが一番重要だなと思ったので、書かせていただきます。

僕は140字小説を書くとき、だいたい最初の70字くらいまでを一気に考えます。だいたい二文か三文くらいになるでしょうか。普通の小説でいうところの「起」あるいは「承」までをここで完成させなければなりません。まあ140字小説には起承転結なんて無くていいと思っているので、別に「起」とか「承」とかを意識する必要はないのですが、最初の70字くらいが作品の導入になると考えてください。

普通の小説で考えると作品の半分が導入というのは長いような気もしますが、僕の経験からすると、最初の70字くらいは何も考えずにさらっと読むことができます。ただ、その後ろの70字は、前半の70字が好きではないと読み飛ばしてしまうことも多いです。つまり、最初の70字でいかに惹きつけるのかが大事になってくるわけですね。

最初の70字さえ書いてしまえば、そこで世界観はある程度できあがっているはずなので、あとはある程度惰性で書けてしまうのではないかと思います。そういう風に肉付けをしていくと最初は140字を大幅に超えてしまうこともあるかと思いますが、言葉を削って、その140字小説で伝えたい芯の部分を明確にしていきましょう。

 

紙に言葉を書きつける

140字小説は、多くの人がTwitterで発表すると思います。なので、初めからPCやスマホで文字を打ち込み始める人も多いことでしょう。もちろん僕も、初めからPCやスマホで140字小説を打ち込み始めることもあります。しかし、おすすめはまず紙に言葉を書きつける方法です。

僕が初めからPCやスマホで書く場合というのは、すでに最初の70文字がある程度出来上がっている状態であることが多いです。紙に書きつけるのは、「数日作ってないし、そろそろ作らなくちゃなー」と思っているときです。最初の70字って出てくるときはぽんぽんと出てくるくせに、出ないときは全く出ないんですよね。だから、最初に紙に書くときは非常に難産である場合が多いです。一個の140字小説を完成させるのに(というか、最初の70字を搾り出すのに)1時間くらいかかったりします。

さて、紙に何を書きつけるのかというと、何でもいいです。頭を空っぽにして最初に思いついた言葉を書くこともあれば、僕は曲を聴きながら考えることが多いので、ふと耳に入ってきて「いいな」と思った歌詞を書きつけることもあります。文字が全然出てこない場合は、下手くそな絵を描くこともあります。

まあ絵を書いたところで全然140字小説の完成には近づかないと思うのですが、そこに書きつけた言葉たちは140字小説の種になるはずです。また、そこに書いてある言葉をかき集めて70字の種を作ろうとすることもあります。これをPCやスマホでやってしまうと、出来損ないの70字を消してしまいますが、紙にボールペンで書けば、その出来損ないの70字もずっと残ります。その70字をきっかけに新たな70字が生まれることもあるかもしれませんし、少し経って読み返したときに、新たな70字の種になることがあるかもしれません。だから、もったいない精神でこれらの言葉を大事に紙に書いてとっておくのです。

ちなみに、最近はZEQUENZという手帳(メモ帳?)を使っています。

 

atohs.hatenablog.com

 

文字数が増えることを恐れない

140字という制限がある中で逆説的なことを言うようですが、文字数が増えることを恐れてはいけません。

たとえば、「~けど」と「~けれど」という表現では前者の方が1字節約できるのですが、僕の場合は好んで後者を使う傾向にあります。ここに意味の違いは特にありませんが、やはり言葉の響きが全然違ってきます。

もちろん、言葉の並びから「~けど」を選択することもありますし、あと1字削除すれば140字ぴったりだというようなときには、やむなく「~けど」にするような場合もあります。しかし、作成している途中では文字数が増えていくことを恐る必要はありません。もし140字を超えてしまったら、そのときに削ればいいのです。

字数を節約しようとすると、どうしても漢語表現ばかりになってしまいます。140字という制約の中で、確かに表意文字である漢字は非常に便利なのですが、そればかりを使っていると非常に硬い文章になってしまいます。硬い文章でもいいという方はもちろんそれでいいのですが、むしろ大和言葉などを使ってひらがなを入れ込んだ方が、奥行が出る場合も多いです。

すごく大雑把に言うと、漢字を多用すると男性っぽい140字小説に、ひらがなを多用すると女性っぽい140字小説になります。僕はそもそも女性作家の書いた小説が好きという事情もあり、少し字数を増やしてでもひらがなを入れ込むことが多いです。

 

説明しすぎない

上と違うことを言うようで申し訳ないのですが、140字小説では表現を切り詰める必要があります。しかし、それはひらがな表現を漢字表現に変えるとかそういうことではなく、いかに表現の奥行を持たせられるかということにかかっていると僕は考えます。

たとえば、主人公やその場所の説明を僕はほとんどしません。140字小説では、登場人物も舞台になる土地も匿名にならざるを得ないでしょう。もちろん、そこに何かしらの名前を付けることも可能ですが、140字という狭い空間の中では、名前を充分に生かしきれないでしょう。小説で名前を付けるとき、長い物語の中でその名前のついた人物なり土地なりに様々な情報が結びついていくのですが、140字小説は何せ140字で終わってしまうのです。名前にたくさんの情報をこめるのは無理です。説明の途中で140字小説が終わってしまいます。

というわけで、140字小説では登場人物や舞台は匿名で、その人物像や土地のイメージを読み手に託す必要があるわけです。140字小説を読んで各々が自己の記憶を呼び起こし、その記憶から140字小説の匿名の部分を埋めていく。きっと、そういう読みを要請する必要があるのではないかと思います。

また、140字小説では比喩表現が大事になってくるでしょう。例を出しましょう。昨日、ちょうど無間書房に投稿した140字小説がこちらになります。

恐らくこの140字小説を読んで一番目につくのは「君の声と瞳は世界で一番熱い命を宿している」なのではないかと思っています。決してかわいくはない「君」から「僕」が目をそむけられない理由を、この一文にこめたつもりです。

この140字小説が好きか否かというのは、この「君の声と瞳は世界で一番熱い命を宿している」という表現のリアリティを感じられるか否かにあると思います。「寒い表現だなあ」と思った人とは恐らく僕は全くリアリティが共有できないし、少しでも「いいな」と思ってくれた人には、僕のリアリティの何割かが伝わったのかなと思います。

「君」の魅力を詳細に記述することは、たとえば140字という制限を外してしまえばできるでしょう。ここでは140字で表現することの必然性には触れませんが、ひとまず140字で表現しなければならないとなったときに、圧縮された表現を用いる必要があります。あとは、読んでくれる人がこの圧縮された表現をどう解凍するかという問題です。この140字小説は「アイドル」というお題で書きました。もしも僕と同じ「君」を想像しているのであれば、僕が圧縮するのとほぼ同じ状態に解凍できる人もいるかもしれません。でも、ほとんど僕と同じ「君」を想像した人はいないと思うので、オリジナルとは違う形で解凍してしまう方がほとんどだと思います。けれど、140字という表現の中で圧縮したものが適切に解凍されるわけもないので、勇気を振り絞って、できるだけ濃度の濃い圧縮を心がける必要があるのだと思います。まあここでは、「命」という言葉に意味を詰め込みすぎているような気がしなくもないですが…。

 

まとめ

以上、僕が普段140字小説を書くときに気をつけていることを4つ紹介させていただきました。本当はもっと色々考えていることがあるのですが、またの機会にということで。

とりあえず、70字くらいの文字の塊を作ればあとはすらすらと書くことができると思います。ちゃんとした作品を出すことも重要ですが、140字小説は字数が短い分、実験もしやすいと思いますので、まずは色々と書いてTwitterに投稿して反応を見てみるのがおすすめです。その中で、あなたのスタイルが見つかることでしょう。

僕が140字小説を書いているTwitterアカウントもよろしくお願いいたします!

篠原 歩 (@shino140nov) | Twitter

無間書房 (@mugenshobo) | Twitter

 

140字小説を300個作ること。原稿用紙100枚へ。

140字小説を数える単位って何が適切なのだろう? 「編」? それでは大仰すぎるから、「個」くらいが丁度いいのではないかと思っています。

最近は本拠地である無間書房 (@mugenshobo)以外にも篠原 歩 (@shino140nov)という投稿の場を得たので、作品数が爆発的に増えています。ただ、篠原歩の方には実験的な作品を投稿することも多いので、いい作品が増えているのかというと問題点もありますが…。

 

最近は短編小説を書いています。LAZURITEという同人誌に掲載するための短編です。およそ25枚を目標に書いているのですが、これでだいたい1万字くらい。100枚~300枚が中編小説と呼ばれ、雑誌の新人賞はこのボリュームの作品を募集していることが多いですね。

原稿用紙100枚。4万字。ふと、140字小説をいくつ作れば原稿用紙100枚に届くのだろかと気になって計算してみました。すると、だいたい286編作れば100枚に届くことが分かりました。句読点の処理なんかでこの通りにはならないと思いますが、まあおよそ30編ということにしておきましょう。

僕はこの1年半くらいの間に、およそ200ほどの140字小説を作ってきました。仮にこれが300個になって、原稿用紙100枚に並べてみたとき、誰かがそれを読みたいと思うでしょうか。僕ならば、恐らく読まないと思います。必然性のない並べられ方をした140字ぶつ切りの言葉たちが僕(筆名の「篠原歩」)という名前の元に集合させられても、僕だったら読まない。

これは、僕が詩集を読むのが苦手だということも関係しているのかもしれません。詩集を小説と同じように読むと疲れてしまいます。そこには物語の連続性がなくて、言葉だけで脳が埋まっていく。だから、僕は詩集を一気に読むことはあまりせず、目にとまったらパラパラとめくって何編か読んでまた閉じる、というような読み方をします。

もちろん、140字小説をある法則に従ってまとめ、そこに連作短編のような連続性を持たせることは不可能ではないでしょう。でも、やっぱりそれが100枚4万字あるときつい。140字小説は、Twitter上で一日に何回か流れてきて、読んで気に入ったらふぁぼっとこうくらいのやり方が丁度いいのかなあという気がしています。

 

でも、僕は140字小説集を紙で出そうと企んでいます。でも、4万字も出すと読む方も疲れてしまうと思うので、20編くらいを収録しようと思っています。

20編でも一気に読むと疲れてしまう人がいるかなと思いまして、実はそれぞれの140字小説に挿絵もお願いしているところです。挿絵が豪華になりそうなので、140字小説と挿絵のどちらが本体なのか分からなくなりそうで怖いのですが、まあ一応140字小説集ということにしてあります…笑。

 

140字小説集は、恐らく5月の文学フリマ東京に持っていくと思います。お時間ありましたら、ぜひ「無間書房」のスペースまでお越しください!

本谷有希子『生きてるだけで、愛』を読んだ

第154回芥川賞が発表になりましたね。前回に引き続いて二作受賞で、滝口悠生「死んでいない者」と本谷有希子異類婚姻譚」でした。

僕もそんなに芥川賞に毎回注目しているというわけでもないのですが、又吉直樹「火花」が話題になった前回と比べて、ぜっっっっんぜん話題になっていませんね。本谷有希子が劇団を主催していたり声優経験者だったり36歳美人ママであることを見出しに書いてWebニュースも人の目を引こうとしているのが虚しい。

 

さて、芥川賞を受賞した本谷有希子の小説を今回は買って読んだわけです。これは彼女が芥川賞を受賞したからというミーハーな理由もあります。しかし、実はもう一つ理由があり…。

僕はたまにTSUTAYAで映画のDVDを借りて見るのですが、過去にいくつか二回借りて見た映画があります。その中の一つが、本谷有希子原作の「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」。大好きなチャットモンチーが主題歌を歌っているというのも大変良かったし、とにかく内容が良かった。

で、色々調べてみるとサブカルの人たちがめっちゃ本谷有希子好きみたいだな~ということに気づいて。いつかは読みたいと思っていたんです。本当です。そしたら芥川賞受賞してしまって、読むなら今しかないな、と。

 

結論から言うと、めちゃくちゃ面白かったです。小説って一人称小説であっても、メタ的な視点を持っていることが多いのですが、この小説では物語る主体と主人公がほとんとぴったり一致しています。だから、主人公の感情が高ぶれば、それがそのまま文章に出てしまうのです。「読点使いすぎでは…?」と心配になったり。

なんで、自分が、こんなに、馬鹿みたいに、寝るのか、誰か、納得いく、説明を、しろ。スニーカーをはいてきてしまったせいで、冷たい水の足先のほうから染みこみ始めている。あれだけ、寝て、まだ、眠いって、あと、どれだけ、人生を、無駄に、することに、なるんだ。

本谷有希子『生きてるだけで、愛』)

 あと、比喩の仕方がとても面白くて、小説を読みながら声出して笑ったのって久しぶりだなあと思います。具体的にどこで声出して笑ったのか引用して示したいのですが、ちゃんとメモしてなくてどこだったか忘れてしまいました。すみません。まあどの表現が面白いかは人によって違うと思うので、買って読んで探してみてください。

 

とにかくずっと主人公はギリギリなんですけど、元ヤンの夫婦が経営しているレストランでバイトをすることになって一旦緩んじゃうんですよね。主人公も、小説自体も。ああこんな感じで終わっちゃうのかなあと思っていたら、最後にしっかりネジを締めてくる感じがとてもいい。

併録されている「あの明け方の」も「生きてるだけで、愛」のエッセンスを詰め込んでいる感じがして(もしかしたら、そこに詰め込まれているのが本谷有希子らしさなのかもしれません)、非常に楽しく読めました。

 

異類婚姻譚』はこれまでの小説とは違うという話を聞いているので、他の作品をまず読んでから、ゆっくりと読んでみようかなあと思います。文庫版が出るまで待ってもいいかも…。

 

生きてるだけで、愛。 (新潮文庫)

生きてるだけで、愛。 (新潮文庫)

 

 

カミュ『異邦人』を読んだ

大学で文学を学ぶ身でありながらカミュを読んだことが無かったので、代表作である『異邦人』を読んでみました。窪田啓作訳。読了後の感想は一言、疲れた。

なんで『異邦人』を読んだだけのツイートがふぁぼられてるのか不思議なのですが、皆さん恐らくカミュのことが好きなのでしょう。

『異邦人』を読み切るのに、だいたい3日くらいかかりました。そんなに長い小説ではないです。ちょっと文字が小さいですけど、文庫本サイズで120ページほど。けれど、休憩を挟みながら読んでいたら、とても時間がかかってしまいました。

そもそも、僕は海外文学を読むのが苦手です。どうして苦手かというと、文章についていけないからなんですね。外国語を日本語に訳しているのだから日本語として不自然になりがちなのは当然だし、そもそも訳が古い場合は、もう全然受け付けなくなってしまいます。僕が読んだ新潮文庫版の窪田啓作訳が昭和29年発行で、まあそこそこ古いという感じでしょうか。

これは僕の欠点であると自覚していて、物語を楽しく享受することができないので、荒療治ですが海外文学をたくさん読んでなおしていきたいなあと思います。(積み本は日本人作家のものばかりですが…)

 

さて、『異邦人』の文学史的位置づけを確認してみると、「実存主義」や「不条理文学」というキーワードが出てきます。

実存主義」についてはサルトルとセットで語られることが多いようですね。ところが、巻末についていた白井浩司の解説によれば、カミュ実存主義とは違うところにいたようです。

 日本においてもそうであったが、フランスにおいてさえカミュサルトルと同じ種類の実存主義者と見なされた一時期があった。(中略)

 思想も、生い立ちも、資質も、感受性も、小説の方法や小説観や文体においてさえも、カミュはあきらかにサルトルとは異なる。ただこのふたりは、別々の仕方で、人間の不条理を描いてみせたのだ。

カミュ著 窪田啓作訳『異邦人』の白井浩司による解説)

 僕はサルトルの思想をロクに知らないのでここには立ち入りませんが、今度『嘔吐』を読もうと思っているので、違うんだなあという感覚を持ちながら読みたいと思います。

さて、もう一方のキーワードである「不条理文学」について。これについては演劇に与えた影響が大きいようで(『異邦人』単体で影響を与えたわけではないでしょうが)、イヨネスコやベケットなどが不条理演劇を実践し、日本では別役実不条理演劇の実践者として知られています。

イヨネスコについては、僕はイヨネスコの戯曲を使った演劇を見たことがあります。「雨傘屋」というユニットの公演で、演出は天野天街さん。これがめちゃくちゃ面白かったんですよね。

さぞかし戯曲単体で読んでも面白いのだろうと思って図書館にあるイヨネスコ全集を引っ張りだしたのですが、これが全然面白くない。雨傘屋の公演では原作を少し脚色していたということもあるんだけど、戯曲は上演されてこそ面白いんだと思いました。不条理演劇の滑稽さは、舞台で役者が演じて初めて発揮されるのではないかな、と。

実は「禿の女歌手」を見る1年か2年くらい前に別役実の「さらだ殺人事件」を僕が所属していた演劇部で上演したことがあって、僕も役者として出演したんですけど、やってて全然面白くなかったんですよね。今となっては別役実の不条理の面白さも少しは理解できますけど、当時はそれも理解できていなかった。それに、演出も(演出してない僕がいうのもなんですが)力不足だったように思います。それは、天野天街さん演出の「禿の女歌手」を観劇して、「そういうことだったのか~」と納得しました。

 

禿の女歌手の話になってしまったので、『異邦人』に話を戻しますね。

『異邦人』は前半が絶望的につまらない。殺人を犯して(殺人を犯すって文庫の裏のあらすじにも書いてある!)以降は面白く読めるのですが、前半はいわば伏線なので、全然面白くない。これが日本語の小説であれば物語として楽しめるのかもしれませんが、外国のお話なので生活様式も分からないので全然何やってるかわからないのです。もちろん、字面からどういう行動をしているのかはわかるのですが、自分の生活を持ち込んでそれを読解することができないので、非常にストレスなのです。

後半はずっと「今回の殺人とママンが死んだ後の行動は別に考えるべきでは…?」とずっと考えていて、最後に司祭に対して激怒するところは良かったなと思います。良かったです、というのはカミュが神を盲信することを否定するという思想が読み取れて良かったです、という意味です。

 

『異邦人』については一人で読んでもよく分からないところが多かったので、誰かフランス文学に詳しい方に色々聞きたいなと思っております。

 

異邦人 (新潮文庫)

異邦人 (新潮文庫)