短文ばかり書いていると長文が書けなくなる
普段から短い言葉を作る機会が多い。仕事においてもタイトルやキャッチフレーズを作ることはあっても、500字以上の文章を書くことは今のところない。
また、創作活動にしても最近は140字小説や短歌ばかりで、原稿用紙何枚という単位で書くことが少なくなってきている。
強い言葉と論理
短い言葉を書いていくときに重要なのは「強い言葉」だ。まず着想があって、それを効果的かつ装飾的に伝えるための強い言葉が必要になる。コピーだって短歌だって140字小説だって、それは同じことだと僕は考えている。
強い言葉を選んで空気感やイメージを醸成しておき、ディティールに関しては受け取り側の想像に任せる。いかに適切な輪郭を持った余白を作り出すことができるか、いかにこちらの想定した余白に誘い込むことができるか、そしてそれを、いかにわずかなスペースで実現することができるか。そういう能力が試される。
一方で、長い文章に問われるのは「論理」だ。強い言葉はほとんど必要なくて、どんどんとソリッドな言葉で余白を埋めていく必要がある。
強い言葉を生み出すのには集中力を要する。一つの言葉を生み出すのに多大な時間がかかるからだ。ところが、長い文章を書く場合には労力が必要となる。また、短文を書くのは「表現」で、長文を書くのは「作業」だということができるかもしれない。
長文を書くとき、それは頭の中にある情報たちを整理して組み立てるということがほとんどを締める。これは、長編小説を書くにしても同じことだ。まずはプロットを練って、それに沿って文章を書いていく。
短距離選手と長距離選手
どちらが向いているのかというのは、才能の問題でもあるし、慣れの問題でもある。
それは、同じ「走る」ことに関する競技でも、短距離走と長距離走に分かれているというのと同じようなものだと思っている。ベースには、「走る」ことの才能がある。
でも、そこには向きと不向きがあるし、どこかで自分は長距離走の選手なのか短距離走の選手なのかを決めて、そこに最適化する方向で練習を積む必要があるだろう。
それでも僕はよくばりたい
文章を書くということに関して、どちらかといえば僕は長距離の選手だった。高校生の頃まではずっと小説だけを書いていて、短歌とかには全く興味がなかった。
しかし、Twitterで情報を発信するようになり、140字小説を書くようになって、さらには短歌も詠み始めた。間違いなく僕は短距離走の選手になっていて、近頃は長い文章を書くのが少し苦痛になってきている。
別に、このまま短距離走を続けていてもいい。ただ、短文の世界って書き手と読み手がほとんど一致してしまっていて(たとえば、短歌を鑑賞する人はほとんど自分でも短歌を詠む)、なんというか少し居心地が悪い。
Lucky Brothers & co.という主にWeb制作をやっている会社があって、そこの経営理念は「もっとよくばる」。僕はこの言葉を見かける度に、「もっとよくばってもいいんだ!」という気持ちになる。とても好きな言葉だ。
これからは、文章を書くことをもっと欲張っていきたい。このブログは、そのためのリハビリの場であったりもします。
まとめ
僕がまた長距離に挑戦したいということをここまで書いて来たわけだが、長距離選手の皆さまは、ぜひ短距離の世界も覗いてみてほしい。
個人的には、140字小説を書く人が増えてくれればいいなあと思っている。
文芸系同人誌の企画を作るときにやっていること。
格安小冊子作成・冊子印刷・制作 ・印刷・印刷通販【ちょこっと(ちょ古っ都)製本工房】
その他にも印刷所はたくさんある。以前、蓼食う本の虫というサイトで印刷所のおすすめをまとめているのでこちらもぜひ。
無料配布のペーパーやチラシ、ポスター、名刺などはラクスルを使うといいと思う。冊子も注文できるんだけど、圧倒的にちょ古っ都の方が安い。
僕も構想だけ練って実現していない企画本がたくさんあるので、頑張って実現させようと思う。皆さんも頑張ってください。検討を祈ります。
一眼レフカメラを買ったら、ただ歩くのが楽しくなった
去年の夏、デジタル一眼レフカメラを買った。Canonのエントリーモデル「EOS Kiss X7」ダブルズームキット。Amazonのデジタル一眼レフカメラランキングで1位になっている。
Canon デジタル一眼レフカメラ EOS Kiss X7 ダブルズームキット EF-S18-55mm/EF-S55-250mm付属 KISSX7-WKIT
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- 発売日: 2013/04/24
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とにかく軽い
レンズが2本ついてきて5万円と、新卒でお金がない僕でもギリギリ手が届く価格設定。こうして多くの人がカメラ沼にハマっていくのだろうなと思いながら、結局は僕も買ってしまったのだ。
X7はとにかく軽い。会社でハイアマチュアモデルを触らせてもらったことがあるけど、これが本物の一眼レフかと驚いてしまった。もちろん、X7だって本物の一眼レフなんだけど、おもちゃかと思ってしまうくらいに軽い。
だから、休日はどこに行くにしても持ち歩くことにしている。また、最近は通勤時にも持ち歩くようになった。日常に潜む小さな感動をカメラに収めるために。そんな風に気軽に持ち出せるのが、X7のいいところだ。
ただ歩くのが楽しくなった
一眼レフカメラを買って一番良かったなと思うのは、外をただ歩くのが楽しくなったということ。生来の出不精で、ちょっとした外出でもすぐに公共交通機関を使って歩かない僕にしてみれば、これは大きな進歩だ。
どうして歩くのが楽しくなったかというと、風景をしっかり観察するようになったから。せっかく一眼レフを持っているのだから、やっぱりどんどん写真を撮りたい。でも、ぼーっとしているだけではいい被写体に出会うことができないのだ。
だから、最近外を歩くときは、カメラを持って常にきょろきょろしながは歩いている(傍目から見るとちょっと怪しいかもしれない)。
今まではスマホを見ながら歩くことが多かったんだけど、いくら人が少ないとはいえやっぱり歩きスマホは危ない。風景を眺めていても少し危ないかもしれないけど、スマホを見ながら歩くよりはマシだろう。
きょろきょろしながら歩くと、普段過ごしている町の中にもたくさんの驚きが隠れていることに気づく。こんなところにこんなお店があったのか、なんて気づきも多くなる。スマホが誕生する前は、みんなもっと歩くときに現実を見ていたのかもしれない。あるいは、僕が現実を見てなさ過ぎただけかもしれないけど…。
さらに持ち出しやすく
ただでさえ軽くて持ち出しやすいX7をさらに簡単に持ち出すために、いわゆる「撒き餌レンズ」と呼ばれる単焦点レンズ「EF50mm F1.8 STM」を購入した。
Canon 単焦点レンズ EF50mm F1.8 STM フルサイズ対応 EF5018STM
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- 発売日: 2015/05/21
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フルサイズにも対応しているので、これからカメラを買い換えた時でも使用することができる。
ちょっとした散歩のとき、付属しているズームレンズをつけるのは正直ちょっと邪魔だった。長すぎたのだ。
しかし、「EF50mm F1.8 STM」は単焦点でとてもレンズが短いので、いつでも気軽に持ち運ぶことができる。
値段は1万5,000円ほどでカメラ初心者の僕は少し購入を悩んでしまったが、最初に出した5万円に比べれば安いとすぐに購入を決めてしまった。こうして、多くの人がカメラ沼にはまっていったのかもしれない…。
まとめ
一眼レフを使うと綺麗に写真が撮れるというのが一番わかりやすいメリットだと思うけれど、使っているうちに自分に生活を見直すことにもつながる、というのが今回の大きな発見だった。
別に、一眼レフを買う必要はないと思う。ミラーレスを買ってもいいし、コンデジを持って街に出てもいい。なんなら、スマホで風景を切り取ろうと意識するだけでも、街を見る景色が変わるはずだ。
けれど、僕の場合は一眼レフを買うと意識が断然変わった。「撮る」という行為が日常の中に良くも悪くも割り込んできて、「撮りたい!」という気持ちがどんどんと湧いてくる。
これからカメラを始めようかなと思っている人には、Canonのエントリーモデル「Eos Kiss X7」ダブルズームキットがおすすめです!
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新卒の社会人におくる明日から使えるマルチタスク管理術
広告と印刷の会社で新卒と働き初めて1年が経とうとしている。
仕事というのは、1つの単純なタスクを追いかけていればいいというわけではなく、常にやらなくちゃならないこと、あるいはやりたいことが複数発生しており、それを要領よく処理していく必要がある。つまり、マルチタスクの技術が求められるわけだ。
1年間働いてみて、僕なりのマルチタスクの方法をまとめたので、来年から新卒として働く人は参考にしてみていただければ幸いだ。
マルチタスクは、シングルタスクの連続である
記事のタイトルからは矛盾することを書くようだが、そもそもマルチタスクなんてものを人間ができるわけがない。目の数も手の数も体の数も決まっているのに、同時進行で様々な物事を解決できるわけがない。
「マルチタスク」と言いながらも、僕たちは1つ1つの仕事を順番にこなしているにすぎない。まずは、このことを意識する必要がある。
やることをすべて書き出す
マルチタスクが難しいのには、2つの理由がある。
- どのタスクを処理すべきだったか忘れてしまう。
- すべてのタスクが気になってしまって、どのタスクにも手をつけられないままになる。
①は、頼まれていた仕事を忘れていた場合が致命的。あなたの信用が一気に地に落ちてしまう可能性もあるだろう
②に関して、経験のある方も多いのではないだろうか。僕の場合、整理されていないタスクを見ると、ぼーっとして1時間経っちゃったなんてことがざらにある。
そもそも、すべてのタスクを覚えておくなんて無理なのだ。その日のうちにこなすタスクが2個とかしかないなら話は別だけど、細々したものを含めれば、10や20なんてすぐに突破してしまう。そこに、明日以降にこなすべきタスクも入ってくるのだ。覚えられるわけがない。
また、すべてのタスクを把握していないのに整理できるわけがない。
まずはタスクを書き出すこと。すべてはそこから始まる。
タスクを書き出す際には、以下のポイントに注意しよう。
「仕事」「プライベート」に分けて書き出す
別に「仕事」だけのタスクを書き出してもいいが、どうせプライベートでもこなすべきタスクはたくさんあるのだから、一緒に管理してしまった方がいい。ただし、業務時間中には効率良く仕事のタスクをこなすことができるように、プライベートとは管理する場所を分けてしまって、目に触れないようにしよう。
場合によっては、「仕事」と「プライベート」の下でされにカテゴライズさせてもいい。僕は、「プライベート」の下には、自分がプライベートでやっているプロジェクトのタスクをまとめている。「仕事」に関しても、プロジェクト別や関わっている上司別で分けてしまってもいいだろう。
どんなに小さなタスクでも書き出す
人間は絶対に忘れてしまうので、思いついたことはどんなに小さなことでもタスクにする。仕事だったら、「〇〇さんのメールに返信する」ということまでタスクにしてしまう。もちろん、その場ですぐに返信できるような場合であれば別だが、メールが来たタイミングですぐに返信できるというようなことは早々ない。大抵は他のタスクを処理している途中だからだ。だから、一旦そのメールのことを忘れることができるように、タスクのリストに入れ込んでしまう。
タスクはできるだけ細分化する
また、タスクはできるだけ小さな単位にして処理する。「プレゼン用の企画書を作る」とかは絶対にやめた方がいい。そこにかかるそこにかかる時間が計り知れなくなるからだ。まずは「企画書の構想を練る」くらいに留めておく。そして、練る段階でさらにやるべきことを決める例えば「SWOT分析にかける」「STP分析を行う」「取り扱う製品の仕様書を読み込む」「A先輩に意見を聞いてみる」などだ。とりあえず、ひたすらタスクを細かくしていく。
こうすることによって、自分の中で進捗を生み出すことができるし、やるべきことが明確になる。「企画書を作る」という大きなタスクの中で「あれもしなきゃ、これもしなきゃ…」というような状況で物事を進めていくと、やっている途中で「あれ、これどうすればいいんだっけ?」というような問題にぶつかる。思いついたタスクは、絶対にメモしておくことだ。
タスクのゴールを設定する
タスクにはゴールが設定されなければならない。それを達成して、はじめてそのタスクは「完了」したことになる。先ほどの企画書の例で言うならば、たとえば「課長に企画書を提出する」ということがゴールになるかもしれない。だいたい、この「提出」というのがゴールになる場合が多い。また、「SWOT分析にかける」であれば、その結果を企画書に盛り込むというのがゴールになるだろうか。
とにかく、すべてのタスクにゴールを設定しよう。そうしなければ、だらだらとやってしまって結局は何も進まなかったということになりかねない。
期限を設定する
すべてのタスクには締切を設けよう。「いつかやろう」と決めたタスクは、そのままタスクリストの中で眠り続けることになる。
締切については、厳密に決めてしまう必要はないと思う。もちろん、上司から言い渡された締切がある場合には、それに向かって作業をする必要がある。しかし、それ以外のタスクについては、自分の感覚で決めながら修正を随時かけていけばいい。
先ほども例にあげた「メールに返信する」というようなタスクは、「すぐやる」とか「今日中」とかいう期限を設定すればいいと思う。
期限がよくわからないタスクについて、僕は「○○のことを考える」というタスクをその日中か次の日に持って来て、タスクを細分化する作業を行う。そこから、それぞれのタスクに期限を決めて行って、最終的な「提出」のタスクの期限を切る。
ところで、残念なことに期限というのは大抵守られないものなのだ。しかし焦ることはない。そもそも適当に決めた期限であることも多いのだから。だから、上司から言い渡されたようなタスクや絶対にやらなければならないタスクを優先的に処理していき、あとは「期限が過ぎているから早くやらなくちゃ…!」と思って処理する程度でいい。タスクにせず、期限が切られていなければ、そもそもこの「焦る」ということもされずに忘れ去られていく。
タスクの管理方法
タスクは好きなように紙でもスマホでも、好きなように管理すればいいと思う。色々と試していくうちに、自分にぴったりの管理環境が見つかるだろう。
とはいえ、初めてタスクを管理しようとしている人にとってはどうしていいかわからない話だと思うので、僕が使ってみたタスク管理方法をいくつか紹介する。
スケジュール帳を使う
まずは紙で管理する方法。社会人ともなればスケジュール帳くらい買うだろうから、これを活用していく。
どのようなスケジュール帳を買うかは人それぞれだと思うが、タスク管理をしようと思うならスペースの大きなものがいい。ちなみに僕は、1日に1ページのスペースが割り当てられている「EDiT」というスケジュール帳を愛用している。
マークス EDiT 手帳 2017 1月始まり B6変型 1日1ページ スープル ミッドナイトブラック 17WDR-ETA01-BK
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サイズも色も様々な種類があるので、公式サイトで見てみることをおすすめしたい。
紙とペンさえあればタスク管理ができるし、直感的にタスクをまとめられるので、まずはスケジュール帳でやってみるというのはおすすめできる。基本的には、期限日にそのタスクを書き込んでいくというやり方だ。
ただ、あまりにも小さなタスクを書いていくと紙がいくらあっても足りない。そういった場合は、次に紹介するホワイトボードと併用してもいいだろう。
また、期限を過ぎたタスクたちは、もう開かれないページに追いやられてしまう。そうなってしまえば、そのタスクを再び思い出すことは難しくなってしまう。
タスクを忘れないために
そこで、僕はスケジュール帳で管理をする場合は以下のような方針を取っていた。
- 終了したタスクは赤線を引いていく。
- 終わらなかったタスクは、その日の終わりにどう処理するかレビューをする。
- レビューする際には、また期限を設けてスケジュール帳に書き込む。大抵は、次の日に処理するタスクになるだろう。
- 新たな期限が決まったものは、青線を引いて処理が完了したことを示す。
その日のタスクがすべて赤線か青線で消えていたら、その日の業務を終了することができる。こうすることで、タスクの抜け漏れをなくして仕事をすることができる。
ホワイトボードを使う
その日に優先的に処理すべき仕事を常に目に見えるようにしておくために、あるいはすぐに終わらせてしまうタスクを一時表示させておくために、100円ショップで買ったホワイトボードを活用している。
使い方はご想像の通り。タスクが発生したら書き込んで、終わったら消すだけだ。
また、僕は次の日にやる特に重要なタスクを二つくらいまでホワイトボードに書き出してから退勤する。そうるすることで、次の日に出社したときにすぐ仕事モードになることができる。
タスク管理ツールを使う
個人的には、タスク管理ツールを使うのがおすすめ。紙やホワイトボードに比べると、それぞれのツールによって特徴があるため慣れるのに少し時間がかかるが、使いこなすことができればとても便利だ。
僕が使っているのは「Wunderlist」というもの。会社と自宅のPCにデスクトップ版を入れて利用しているが、ブラウザからも使うことができる。また、アプリ版も用意されているので外出先でもタスクを確認することができる。
Wunderlist | To-do リスト、リマインダー、タスク管理 - App of the Year!
僕がタスク管理ツールを使うのは、期限を確認したり変更したりするのが簡単にできるから。スケジュール帳だと、前述したように新しいページに移し替えたり青線を引いたりしないと抜け漏れが発生するが、タスク管理ツールであれば、期限をすぎて赤字になっているものをリスケするだけでいいので簡単。
タスク管理ツールなんて腐るほどあるので、色々試して見て自分の好きなものを使ってみるといい。最初から適切なツールに出会えるなんてことはない。
僕が以前に使ったことがあるのはTrello、ToDoistなど。
以下の記事にも色々紹介してあるので、参考に。
まとめ
要するに、マルチタスクをこなすためには、あらゆるタスクを可視化してシングルタスクとして順序よくこなしていくのが大事だということ。
これをしないで、脳内だけで管理しようと思うのはよくない。すべてを覚えようとしているとストレスがかかるし、必ずタスクを取りこぼしてしまう。
最初のうちはあまり仕事が振られず、タスク管理なんて必要ないかもしれない。しかし、時間とともに必ず自分のところにやってくる仕事の量は増えてくる。また、仕事量が増えていかないと自分の成長も見込めない。
その日のために、入社したその日からタスク管理術を身につけておこう。前述したように、自分にぴったりの方法を見つけるのにも時間がかかる。準備は早めにしておこう。
写真集を買う意味がわからなかったし、今でもよくわからないかもしれない
写真集というものを今まで買ったことがなかった。デジタル一眼レフを買っても、そもそも現像するという発想がなかったことは先日書いた。
つまり僕は、基本的に写真=情報・データという認識が強く、「モノ」としての写真にあまり興味がないということになる。今やTwitterにもInstagramにもPinterestにも綺麗な写真がたくさん流通している中で、それにいいねしてローカルに保存して個人で楽しんでいれば、別に不満はない。
だから、写真集を買う意味がわからなかった。
ところが先日、僕は生まれてはじめて写真集を買った。
広瀬すずの写真集『17才のすずぽん。』だ。
言い訳がましくなってしまうんだけど、この『17才のすずぽん。』という23歳の男が手に取るにしては恥ずかしいタイトルの写真集を買ったのには理由がある。
写真集を作ることになった
実は、僕の方が写真集を作る立場になってしまったのだ。
とは言っても、別に商業で作るわけではない。初心者のカメラマン(=僕)が、初心者の被写体を撮るお遊びみたいなものだ。数十部くらい刷って、製造原価にロケのガソリン代や小物代が回収できるくらいの値段をつけようと思っている。
売る側が該当の商品を買ったことがないというのでは話にならない。そんなものは売れるはずがない。というわけで、他の写真集はどうなっているのかと研究するためにTSUTAYAへと赴いた。
写真集なコーナーをみつけてしばらくいろんな書籍の表紙を見ていたんだけど、いまいちピンとくるようなものがなかった。
そこで最初に見つけたのが、青山裕企『かわいいスカートのめくりかた』 だった。
ただ、あまりにもフェティッシュすぎてこれから撮る写真集の参考になるかわからなかったし、レジに持って行く勇気もなく、また棚に戻してしまった。
そしてその後に見つけたのが、冒頭に挙げた『17才のすずぼん。』だった。
これは一つ断言できるのだけど、今この画像で見ている表紙の画像よりも、実際の表紙を肉眼で見たときの方が、間違いなくかわいく見える。人に使う言葉じゃないかもしれないけど、シズル感がぜんぜん違う。濡れた髪。キラキラと力強く輝く瞳。この子は生きているんだと強く実感した。
そして僕は、この写真集を購入することになる。
付加価値
僕が作ろうとしている写真集の方に話を戻す。
写真集制作のメンバーは、僕と被写体の皮含めて4人いる。コンセプトは「恐い写真集」。普通にかわいい写真を撮るのはアイドルの仕事だと思うので、少しひねった写真集を作りたいと思っている。
この写真集の計画をメンバー以外な人に話したところ、「それって需要あるの?」と言われてしまった。
曰く、写真だけを集めた本をだれが買いたいと思うのか疑問とのこと。そもそも僕がこれまで写真集なるものを買ってこなかったのだから、合点のいく話だ。
たとえば、グラビアアイドルの水着写真集であったら、まあなにに使うと明言しないけど「実用的」な側面がある。けれど、今回作ろうとしている写真集はそういう類のものではない。
そんな写真集を作るなら、実用的なもの、たとえばカレンダーやポストカード、タオルなどにしてみてはという提案を受けた。
マーケティングの世界では「ドリルを買いに来た人が欲しいのはドリルではなく穴である」という言葉があるけれど、確かに写真集を買った人がどんな価値を提供できるのかということを考えなければならない。写真見てもらって「こわい」「すごい」と思ってもらうことが「穴」に当たるんだろうけど、その穴はべつに写真集じゃなくてデータでもいいわけだ。
広瀬すずの写真集には、紙でしか表現できないような生き生きとした感じがあった。あれなら、データではない提供できないような「穴」を実現することができるだろう。一応、僕は印刷業界に身を置いているので、紙によっておなじクリエイティブでも全く表情を変えてしまうのだということは知っているつもりでいる。ただ、その価値は意外と伝わりにくいのかもしれないとも思う。
それならば、日付を知れるし飾ることもできる(=ポスター)、切手を貼ればハガキとして投函できる(=ポストカード)というわかりやすい付加価値がついているほうが良いのかもしれない。
イラストの付加価値
写真集からグッズの展開まで考えたときに、同じようなことを前に考えたことがあるということを思い出した。
僕は無間書房という文芸同人サークルの代表を一応やっていて、そこではグッズの販売も行っている。表紙などは専門のサークルメンバーがいて、その人に毎回お願いしている。
その表紙の絵などがあまりにも素晴らしいので、ぜひとも色々な人に手にとってほしいと思ったのだが、ただイラスト単体で売ったところで多くの人は購入してくれないだろう…。
そういう思いで、まずはポストカードなどを作成した。また、より実用的なグッズを企画しようということになり、2016年の文豪カレンダーを作ったりもした。
文豪のイラスト自体も大変素晴らしいんだけど、このイラストだけではなかなか多くの人に手にとってもらうことは難しかったんじゃないかと思う。「カレンダー」として、日付を把握することができるという機能があったからこそ、成立したのではないだろうか。
結局、写真集を買う意味って…?
さて、ここまで色々と書いてきたけれども、写真集を買う意味って結局なんなのだろう?
別に、意味など考えずにほしい人だけが買えばいいというのは正しい意見だと思う。別に僕みたいに写真集を買う意味がわからない人は、買わなくていい。
しかし、ふと自分のクリエイティブに値段をつけて流通させるというときに、そこにどのような付加価値をつけるのかということは重要な視点だと思う。
僕は今回、被写体の女の子の怖さというのをたくさんの人に伝えたい。それでは、そうするために必要な戦略とは何か。まずは圧倒的に怖い写真を撮ることなのなんだけど。それだけだと、たとえばTwitterで宣伝画像を見たり、実物をパラパラとめくるだけで満足してしまうかもしれない。それを「購入する」という段階まで進めるためにはどうしたらいいのか。ということになると、写真集を買う意味がわからないまま売ってしまうのはまずいと思う。
まとめ
ということで、写真集を人々が購入する意味を考えながら、写真集を作るのかそれ以外のものを作るのかということをこれから考えてみたい。
それはきっと、僕の中で「写真を撮る」ことに対する意味を問う行為にもなるのだと思う。また、そもそもこれから撮る写真が一体どのようなものになるのかわからない。経験値があれば、ある程度どのような作品が撮れるかを予測して企画を立てるということもできるだろうが、僕には全くどのような写真になるのか予測がつかない。
これから一歩ずつ、一枚ずつ写真を撮りながら、写真を使った作品をつくりあげていきたい。
ちなみに、写真はこんな感じで撮っている。
恐い写真を撮ろうと思ったのに、ぜんぜん恐くなくなってしまったやつです。 pic.twitter.com/PEJnhisVE5
— あとーす (@ATOHSaaa) 2017年2月25日
「モノ」ではなく「情報」にお金を払うのに抵抗があるんだと気付いた、久しぶりに写真を現像した日
電子書籍を読まない理由
①所有できない
②買いすぎてしまう
③読みづらい
結局、「モノ」以外にお金を払うのに抵抗がある
誰も写真を現像しない
いつまでも年下に追い抜かれることを恐れている場合じゃない
中学・高校とソフトテニスをやっていた。とは言っても、何か部活に入らないと具合が悪そうだという理由だけで無難な部活を決めてしまったため、別に部活動に特別な思い入れがあるわけではなかった。
また、そもそも球技を中心とした運動全般が苦手だったこともあり、全く上達もしなかった。中学生の頃も高校の頃も、大会は1回戦か2回戦で負けるのが定番。少しでも向上心があれば少しは違っただろうが、あの頃は早く部活が終わってほしいということばかり考えていた。いま思えば、中高生の若い肉体と時間をわざわざドブに捨てていたのだから、なんとももったいないことをしたなと思う。
ソフトテニス部は、僕が弱かったのであって、別に全員が下手くそなわけではなかった。むしろ僕より一つ上の代は小学校からやってましたみたいな人が多くて、普通に上手い人が多かった。僕よりもはるかに向上心があった。
その結果どうなったかというと、火を見るより明らかだ。僕は年の功で2年生の途中から部長をしていたけど、最後の大会までにはレギュラーから外されていた。僕より年下の1年生たちがコートの上で試合しているのを、大声張り上げて応援していた。
いま、過去に戻るかとができるならばソフトテニスの練習を真面目にやるかと言われたら全然そんなかとはなくて、間違いなく他の部活を始める。そういえば一度、同じくソフトテニス部の友達と一緒にアカペラ部の練習を見学しに行ったことがあった。あれが僕が転換すべきポイントだったのかもしれないと今になって思う。
僕は間違いなくソフトテニスの才能がなかったし、向上心もなかった。だから、才能に溢れてやる気のある後輩たちにレギュラーの座を奪われるのは当然のことだった。そのことは、仕方ないと思っている。
でも、後輩に追い抜かれていくあの感覚は、なんとも表現できないくらいに後味が悪い。自分より少し歳下の人がテレビなどで活躍していると、嫉妬心に燃えることがある。あれと似たような感覚かもしれない。
高校生の頃までは、その感覚からずっと逃げていれば良かった。別にソフトテニスをずっとやるわけではないのだ。僕が引退してしまえば、その後の生活には何ら影響がない。ソフトテニスができなくても、別に生活に困ることはないし、劣等感にさいなまれることはない。
ところが、社会人になると状況は変わってくる。僕はそろそろ、社会人2年目となる。次の新卒が下に入ってくる。僕は、この1年で何かを身に着けることができただろうか。優秀な新人であれば、すぐに僕のことなんて抜き去ってしまうのではないか。そう考え始めると、非常に恐くなってきてしまった。
しかも、今回は逃げることができない。今回の新卒に抜かれなかったとしても、その次がとても優秀かもしれない。またその次も、その次も……。
今働いている会社で定年まで働くかどうかは分からない。けれど、どこの会社に行ったって、僕は今後40年かけて「仕事」をしなければならない。そのためのスキルを積み上げ続けなければならない。恐い。年下に追い抜かれることが本当に恐い。
でも、いつまでも恐がってばかりもいられないなと最近思う。
ここ1年ほど、熊本にあるStudio in.K.というところにお邪魔する機会が多くなった。底で行われる芝居で、役者などをやらせていただいている。
もちろん、僕よりもベテランの役者さんはたくさんいて、とても叶わないなと感じているんだけど、中には中高生なのにすごい演技をする人たちがいる。
でも、演劇はそこで劣等感を持ってしまったら何も始まらなくて、いま自分が持っているもので勝負しなくちゃならない。そして、お互いのいいところを引き出し合いながら、舞台を作っていかなければならない。
ソフトテニスでは、明確に上手・下手の区別がつく。演劇でも当然、上手・下手の区別はあるんだろうけど、そこは「個性」ということでうやむやにされることが多い。とは言え、どこへでも引っ張りだこの役者さん、ファンが多い役者さん、主役級の役を任されることの多い役者さんの方が「格上」だと感じることも多い。そして、僕よりも若いのに明らかに格上っぽい人が当然いる。
先日、車の運転をしながらそんなことを考えていたんだけど、ふと、これから仕事や演劇を続けていく上で年下から追い抜かれることを怖がっている場合じゃないなと思った。
それぞれが違う道を通ってくるんだ。それぞれが違うスキルを身に着けているのは当たり前だ。そこでいちいち劣等感を感じて恐がってばかりいても仕方がない。
まずは、自分に足りないところを把握して、それを高めたいと思えば、高めるしかないんだ。こんなこと、本当は高校生のときに気付くべきだった。
でも、これは言い訳になるんだけど、僕はソフトテニスのことが好きじゃなかったし、そんなに一生懸命じゃなかったから、そんなことにも気付けなかったんだと思う。演劇は好きでやっているし、仕事は一生ものだから一生懸命にやっていきたい。そんな必死さが生まれたやっと、僕の中で「年下に追い抜かれることを恐れている場合じゃない」という気持ちが生まれた。
だから、中高生とか大学生で、自分がやりたくないことをやっている人は、まず自分のやりたいことをやるようにした方がいいと思う。仕事を始めると、生活のこともあるから自分の好きなことを好きなだけ、というのは難しい。
でも、たとえばやりたくない部活ならば参加するだけ無駄だと僕は思う。僕がソフトテニスをしていたのは、健康維持には役立ったかもしれないけれど、やっぱり時間の無駄だったなあと今になって思う。
たぶん、自分の好きなことをやった方が学びが多い。だって一生懸命になるから。スポーツは心を育てるなんていうけれど、スポーツ自体が嫌いだったら、たぶんそれはうまく機能しない。
ということを考えながら、今日も明日も頑張りたいと思います。