あとーすログ

文芸、演劇、カメラ、インターネットが好きです。

写真集を買う意味がわからなかったし、今でもよくわからないかもしれない

写真集というものを今まで買ったことがなかった。デジタル一眼レフを買っても、そもそも現像するという発想がなかったことは先日書いた。

 

atohs.hatenablog.com

 

 

つまり僕は、基本的に写真=情報・データという認識が強く、「モノ」としての写真にあまり興味がないということになる。今やTwitterにもInstagramにもPinterestにも綺麗な写真がたくさん流通している中で、それにいいねしてローカルに保存して個人で楽しんでいれば、別に不満はない。

だから、写真集を買う意味がわからなかった。

ところが先日、僕は生まれてはじめて写真集を買った。

広瀬すずの写真集『17才のすずぽん。』だ。

 

広瀬すずPHOTO BOOK 『17才のすずぼん。』

広瀬すずPHOTO BOOK 『17才のすずぼん。』

 

 言い訳がましくなってしまうんだけど、この『17才のすずぽん。』という23歳の男が手に取るにしては恥ずかしいタイトルの写真集を買ったのには理由がある。


写真集を作ることになった

実は、僕の方が写真集を作る立場になってしまったのだ。

とは言っても、別に商業で作るわけではない。初心者のカメラマン(=僕)が、初心者の被写体を撮るお遊びみたいなものだ。数十部くらい刷って、製造原価にロケのガソリン代や小物代が回収できるくらいの値段をつけようと思っている。

売る側が該当の商品を買ったことがないというのでは話にならない。そんなものは売れるはずがない。というわけで、他の写真集はどうなっているのかと研究するためにTSUTAYAへと赴いた。

写真集なコーナーをみつけてしばらくいろんな書籍の表紙を見ていたんだけど、いまいちピンとくるようなものがなかった。

そこで最初に見つけたのが、青山裕企『かわいいスカートのめくりかた』 だった。

かわいいスカートのめくりかた

かわいいスカートのめくりかた

 

ただ、あまりにもフェティッシュすぎてこれから撮る写真集の参考になるかわからなかったし、レジに持って行く勇気もなく、また棚に戻してしまった。

そしてその後に見つけたのが、冒頭に挙げた『17才のすずぼん。』だった。

これは一つ断言できるのだけど、今この画像で見ている表紙の画像よりも、実際の表紙を肉眼で見たときの方が、間違いなくかわいく見える。人に使う言葉じゃないかもしれないけど、シズル感がぜんぜん違う。濡れた髪。キラキラと力強く輝く瞳。この子は生きているんだと強く実感した。

そして僕は、この写真集を購入することになる。

 

付加価値

僕が作ろうとしている写真集の方に話を戻す。

写真集制作のメンバーは、僕と被写体の皮含めて4人いる。コンセプトは「恐い写真集」。普通にかわいい写真を撮るのはアイドルの仕事だと思うので、少しひねった写真集を作りたいと思っている。

この写真集の計画をメンバー以外な人に話したところ、「それって需要あるの?」と言われてしまった。

曰く、写真だけを集めた本をだれが買いたいと思うのか疑問とのこと。そもそも僕がこれまで写真集なるものを買ってこなかったのだから、合点のいく話だ。

たとえば、グラビアアイドルの水着写真集であったら、まあなにに使うと明言しないけど「実用的」な側面がある。けれど、今回作ろうとしている写真集はそういう類のものではない。

そんな写真集を作るなら、実用的なもの、たとえばカレンダーやポストカード、タオルなどにしてみてはという提案を受けた。

マーケティングの世界では「ドリルを買いに来た人が欲しいのはドリルではなく穴である」という言葉があるけれど、確かに写真集を買った人がどんな価値を提供できるのかということを考えなければならない。写真見てもらって「こわい」「すごい」と思ってもらうことが「穴」に当たるんだろうけど、その穴はべつに写真集じゃなくてデータでもいいわけだ。

広瀬すずの写真集には、紙でしか表現できないような生き生きとした感じがあった。あれなら、データではない提供できないような「穴」を実現することができるだろう。一応、僕は印刷業界に身を置いているので、紙によっておなじクリエイティブでも全く表情を変えてしまうのだということは知っているつもりでいる。ただ、その価値は意外と伝わりにくいのかもしれないとも思う。

それならば、日付を知れるし飾ることもできる(=ポスター)、切手を貼ればハガキとして投函できる(=ポストカード)というわかりやすい付加価値がついているほうが良いのかもしれない。

 

イラストの付加価値

写真集からグッズの展開まで考えたときに、同じようなことを前に考えたことがあるということを思い出した。

僕は無間書房という文芸同人サークルの代表を一応やっていて、そこではグッズの販売も行っている。表紙などは専門のサークルメンバーがいて、その人に毎回お願いしている。

その表紙の絵などがあまりにも素晴らしいので、ぜひとも色々な人に手にとってほしいと思ったのだが、ただイラスト単体で売ったところで多くの人は購入してくれないだろう…。

そういう思いで、まずはポストカードなどを作成した。また、より実用的なグッズを企画しようということになり、2016年の文豪カレンダーを作ったりもした。

mugenshobo.booth.pm

文豪のイラスト自体も大変素晴らしいんだけど、このイラストだけではなかなか多くの人に手にとってもらうことは難しかったんじゃないかと思う。「カレンダー」として、日付を把握することができるという機能があったからこそ、成立したのではないだろうか。

 

結局、写真集を買う意味って…?

さて、ここまで色々と書いてきたけれども、写真集を買う意味って結局なんなのだろう?

別に、意味など考えずにほしい人だけが買えばいいというのは正しい意見だと思う。別に僕みたいに写真集を買う意味がわからない人は、買わなくていい。

しかし、ふと自分のクリエイティブに値段をつけて流通させるというときに、そこにどのような付加価値をつけるのかということは重要な視点だと思う。

僕は今回、被写体の女の子の怖さというのをたくさんの人に伝えたい。それでは、そうするために必要な戦略とは何か。まずは圧倒的に怖い写真を撮ることなのなんだけど。それだけだと、たとえばTwitterで宣伝画像を見たり、実物をパラパラとめくるだけで満足してしまうかもしれない。それを「購入する」という段階まで進めるためにはどうしたらいいのか。ということになると、写真集を買う意味がわからないまま売ってしまうのはまずいと思う。

 

まとめ

ということで、写真集を人々が購入する意味を考えながら、写真集を作るのかそれ以外のものを作るのかということをこれから考えてみたい。

それはきっと、僕の中で「写真を撮る」ことに対する意味を問う行為にもなるのだと思う。また、そもそもこれから撮る写真が一体どのようなものになるのかわからない。経験値があれば、ある程度どのような作品が撮れるかを予測して企画を立てるということもできるだろうが、僕には全くどのような写真になるのか予測がつかない。

これから一歩ずつ、一枚ずつ写真を撮りながら、写真を使った作品をつくりあげていきたい。

 

ちなみに、写真はこんな感じで撮っている。