あとーすログ

文芸、演劇、カメラ、インターネットが好きです。

短文ばかり書いていると長文が書けなくなる

普段から短い言葉を作る機会が多い。仕事においてもタイトルやキャッチフレーズを作ることはあっても、500字以上の文章を書くことは今のところない。

また、創作活動にしても最近は140字小説や短歌ばかりで、原稿用紙何枚という単位で書くことが少なくなってきている。

 


強い言葉と論理

短い言葉を書いていくときに重要なのは「強い言葉」だ。まず着想があって、それを効果的かつ装飾的に伝えるための強い言葉が必要になる。コピーだって短歌だって140字小説だって、それは同じことだと僕は考えている。

強い言葉を選んで空気感やイメージを醸成しておき、ディティールに関しては受け取り側の想像に任せる。いかに適切な輪郭を持った余白を作り出すことができるか、いかにこちらの想定した余白に誘い込むことができるか、そしてそれを、いかにわずかなスペースで実現することができるか。そういう能力が試される。

一方で、長い文章に問われるのは「論理」だ。強い言葉はほとんど必要なくて、どんどんとソリッドな言葉で余白を埋めていく必要がある。

強い言葉を生み出すのには集中力を要する。一つの言葉を生み出すのに多大な時間がかかるからだ。ところが、長い文章を書く場合には労力が必要となる。また、短文を書くのは「表現」で、長文を書くのは「作業」だということができるかもしれない。

長文を書くとき、それは頭の中にある情報たちを整理して組み立てるということがほとんどを締める。これは、長編小説を書くにしても同じことだ。まずはプロットを練って、それに沿って文章を書いていく。

 


短距離選手と長距離選手

どちらが向いているのかというのは、才能の問題でもあるし、慣れの問題でもある。

それは、同じ「走る」ことに関する競技でも、短距離走と長距離走に分かれているというのと同じようなものだと思っている。ベースには、「走る」ことの才能がある。

でも、そこには向きと不向きがあるし、どこかで自分は長距離走の選手なのか短距離走の選手なのかを決めて、そこに最適化する方向で練習を積む必要があるだろう。

 


それでも僕はよくばりたい

文章を書くということに関して、どちらかといえば僕は長距離の選手だった。高校生の頃まではずっと小説だけを書いていて、短歌とかには全く興味がなかった。

しかし、Twitterで情報を発信するようになり、140字小説を書くようになって、さらには短歌も詠み始めた。間違いなく僕は短距離走の選手になっていて、近頃は長い文章を書くのが少し苦痛になってきている。

別に、このまま短距離走を続けていてもいい。ただ、短文の世界って書き手と読み手がほとんど一致してしまっていて(たとえば、短歌を鑑賞する人はほとんど自分でも短歌を詠む)、なんというか少し居心地が悪い。

Lucky Brothers & co.という主にWeb制作をやっている会社があって、そこの経営理念は「もっとよくばる」。僕はこの言葉を見かける度に、「もっとよくばってもいいんだ!」という気持ちになる。とても好きな言葉だ。

lucky-brothers.co.jp

 

これからは、文章を書くことをもっと欲張っていきたい。このブログは、そのためのリハビリの場であったりもします。

 


まとめ

僕がまた長距離に挑戦したいということをここまで書いて来たわけだが、長距離選手の皆さまは、ぜひ短距離の世界も覗いてみてほしい。

個人的には、140字小説を書く人が増えてくれればいいなあと思っている。

 

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